Old Dancer's BLOG
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はみ出し考察~中二病Last Episodeのもう一つの軸
 京都アニメーションというスタジオは、書かれた脚本を流れ作業で処理し、各担当に割り振られた役割をただ全うしてそのままアニメに倒す、ということをしません。

 いや、その制作現場を実際に自分の目で見たわけではないですが。

 でも、過去に何度かインタビューで語られたり、特典映像で垣間見えたりしていることを総合するに…制作に携わっている複数の人々(下手すると全員)が、その素材を念入りに読み込み、咀嚼し、更に相互に意見を交わしつつ、全体の方向性を定めたり、細部を決定したりしている、そういう体制であることが想像できます。そうすることで、描写しようとするものが揺らがないばかりでなく、ディテイルのあちこちにさえ描写の目的とするものが香るという、エラいものが作られていると思うのです。

 そこから生まれる力を私は「調整力」と呼んで、作画力の高さと並び、京都アニメーションの作品を高みに押し上げている大きな要素と考えてきました。そしてこの調整力はしばしば、作品中に複数の軸が並行して走るようなことさえ、平気で達成してしまいます。私がレビューを書く際に、どうにもこうにもまとまらなくて苦悶しまくり、断腸の思いでいくつかを切り落としたり、結構大きな位置を占めるパーツをあっさり見落としたりするのは、それが原因でもあるのですが。

 中二病でも恋がしたい!もまた、京都アニメーションの調整力が炸裂した作品だったと思います。本日は、私が本レビューでは書くことができなかったLast Episodeの「もう一つの軸」について、簡単に書いておこうと思います。作品的にはBlu-ray/DVDの第7巻に収録される未放映第13話が本当の最後になりますが、この記事はTV放映ラストの後のカーテンコールのタイミングで、或いは私自身のレビューのあとがき的な位置づけで、余韻とともに楽しんでいただければ幸いです。
 
~~~


 くみん先輩の行動に、疑問を持ちませんでしたか?


 ご都合主義と言ってしまえばそれまでですが、疑問に感じ始めるとどうにもおかしいんですよ。いや、おかしいなと思うところは人それぞれ、あちこちにあることと思いますが、その中で私が挙げたいのは、自転車を駆る勇太を待ち伏せしていたあのシーン。くみん先輩が大きな役割を果たした、アレです。

待て。

ダークフレイムマスター。お前にこの、二代目邪王真眼から、メッセージがある。


 神がかり的なタイミング、と言うこともできますが、理屈を考え始めると腑に落ちなくなります。あそこで勇太と会うためには、「勇太があの時刻にあそこを通ることをくみん先輩が知っていた」か、「勇太がいつかあそこを通ると想像してずっとあそこで待っていた」か、そのどちらかしかありません。前者だとすると、自転車を借した一色が連絡した、ということは考えられますが、全力で自転車を漕いでいる勇太の先回りがキツくなります(くみん先輩の家があそこに近かった、というのはあり得ますが)。後者だとすると、いつになるかわからないのにガードレールの上に立って、ずっとずっとくみん先輩が待っていたことになるわけで、これは想像すると実にアレです。いや、まあ、中二病を発症してるんだからそんなもんだろ、と言って済ますこともできましょうが…。

 うむ。どうやらこれは、考えてもしょうがなさそうだ。

 作品を楽しむ上では、そう言ってスルーするのが正しいのだと思います(私もよくやりますが、「ご都合主義」と張り紙して自分の頭の片隅に放り込む、というヤツですねw)。でも、ここでは視点を変えてみたいのです。「何故くみんは」ではなく、「何故制作陣は」という視点で考えてみるのです。「くみんはどうしてあそこで待つことができたのか」ではなく、「制作陣はどうしてくみんをあそこで待たせたのか」と問うてみるのです。作中のキャラクターの行動としては微妙に辻褄が合わなくても、そのように描写しようとした理由はあるはずだから。


 「カッコいいから。」

 まあ、ありそうです。


 「そうした方が展開的に燃えるから。」

 ベタですがw、まあこれもありそう。


 その二つで納得してもいいんですが、引っかかるんですよね。「待ってた」というのが。待ってなくてもいいじゃん。メッセージを伝えようとしてたなら、あのタイミングでなくてもできたはずなんですよ、くみん先輩は。勇太とは、中二病を発症したくみん先輩を見に行ったあの時にだって会ってるのに…。

 あの時?

 あの時、くみん先輩、何て言ってた?

来たか。
ダークフレイムマスター。


 「来たか」だと?

 あの時もくみん先輩、勇太が来るのを「待ってた」ってことなのか?

 六花から伝承された邪王真眼を見せるのも、六花から伝えられたメッセージを告げるのも。勇太がそのように動かないなら、やらないことだった、と。

 そう思うと、他のメンバーの立ち位置もかなり徹底しています。六花と勇太がヤバそうだということは何となくみんな感じているところなのに、森夏も、一色も、直接的なことは何もしないんです。唯一凸守は、Episode XIの時点では自ら六花を助け出そうと動いていましたが、その行動が六花の心も勇太の心も決定的に動かすことは出来なかったという描写までされています。そして、「色々考え」た結果、押し売りはやめるんですよね。

 勇太を動かしたのは…自分自身からの手紙なんです。

そうか…結局全部オレなんだよな。
眼帯取れって言ったのも。
中二病卒業しろって言ったのも。


オレが………。


 そう、結局全部勇太なんですよ。六花を迎えに行かなきゃと思ったのも、自転車を漕いででも行こうと思ったのも。勇太自身が。

 だから、電車じゃないんです。何かの力で連れて行かれるのではなく、自分自身の力で、自分自身の意思で漕がなければ、絶対に到達できない手段=自転車でなければならないんです。

 だから、勇太が自転車を漕ぎ始めた後でなければ、くみん先輩はメッセージを伝えないんです。くみん先輩のメッセージに突き動かされて自分の心が決まるのではなく、自分の心が決まってからそこにブーストがかかるという形でなければならないんです。

 だから、勇太は六花に選択を迫るんです。「六花来い!」と叫んだ後、六花が「でも」と躊躇するのを無理にさらうのではなく、自分自身の意思で来いと二択を迫るんです。

つまらないリアルへ戻るのか!
それとも、オレと一緒に、
リアルを変えたいと思わないのか!


 だから、その言葉を聞いた六花が、自分の意思でぐっと窓べりを踏みしめるカットがあるんです。

 全ては、自分の意思で。それでこそ、道は開けるんだ。失われた片翼は取り戻せるんだ。そして、奇跡は起きるんだよ。

 不可視境界線に向かって「さよなら」を叫ぶ六花は…一歩ずつ前へ、自分の足で歩むんです。自分の意思で、パパにさよならを告げること。それこそが、今の彼女に必要なことだったから。

 Inside Identity~内なる自分自身は、その存在意義は、自分自身の「居場所」は、自分自身の意思で決めるんですよ。ああ…素敵なものを仕込んでくれるじゃないですか。



 …ふぅ。やっと書けた…。これを以て、中二病でも恋がしたい!のTVシリーズのレビューを終わりたいと思います。改めて、このシリーズの制作に関わった全ての方々に、感謝を捧げつつ。また、一連の記事を読んで下さった皆さま、毎週トラックバックを下さったブロガーさんたちにも。本当にどうもありがとうございました。次なる素敵な作品でも、またお会いできたら嬉しいです。その時も、皆さんが「自分自身の意思で」歩んでおられますことを、切に願っております。では。
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テーマ:中二病でも恋がしたい! - ジャンル:アニメ・コミック

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