Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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Kanon 第12話「夢の跡」
 ………中身、濃いなぁ……。


 さすがに、ラス前だけはありますなぁ。作画的には中盤辺りからずっと安定疾走してきたこのシリーズですが、引き続き安心して見られる人物作画に加えて、今話の背景描写、靄や光や吹雪の描写が、これまでのものとは一線を画す出来栄えです。そうした映像面の力の入りようのみならず、流れ的にもよく整理されている感じがして、ほとんど無駄を感じません。見ながらさくさくとレビューを書きすすめるつもりが、ついつい見入ってしまってあっという間に30分…。

 少女あゆとの指きりが力なくほどける様が、もう笑えなくなったことを吐き出す名雪の言葉が、今一度願いを告げて消えゆくあゆの姿が、ついつい涙を呼んでしまうのはきっと単なる条件反射ではないのです…。
 
 さて。


 大筋において原作通りを進むあゆのストーリーに対して、名雪の方はかなり変則的です。


 秋子さんが事故に遭ってから意識が戻るまで、半話分しかありませんし。いや、長さの問題じゃーないんだな、ここは。


 原作準拠の名雪編では、いったんは笑えなくなった名雪が再び笑える強さを取り戻すまでが本筋です。秋子さんの復活は、その後のご褒美と言いますか、結果的に起きた奇跡であって…名雪の強さは秋子さんが生還したかどうかに因っていないんですね。


 然るに、この東映版では、名雪が笑顔を取り戻す前、秋子なしでも笑えるような強さを取り戻す前に、秋子さんは復活します。


 まだ。弱いまま、なんですよ。この名雪は。


~~~


 ちょっと醜く見えるかもしれない、そんなところさえ、東映版の名雪は吐露します。あゆの人形を探して祐一を励まそうとしたのは、あゆがもういないとわかって安心したからだ、とか。

 原作版には、こんな展開は、ないです。秋子さんが事故に遭うのは名雪シナリオだけですし、そこではあゆとの恋仲は全く進展しませんから、名雪があゆのことを嫉妬する展開にならないんですね。

 じゃー原作に無いようなこの展開を付け加えた東映版は好ましくないのか、と言えば、これはこれでアリかなぁ、と思いました。


 東映版では、名雪は、普通に近い少女なんですよ。


 リアルに近いような、嫉妬の感情もあたり前にあって。好きな男の子が違う女の子と親しくしてるだけで顔を曇らせて。それが、醜い感情?最低な少女?いやいや、程度の差こそあれ、誰にでもあるような感情でしょう。それに、彼女はそのことを、隠しておけずに祐一にぶつけました。「最低だよ、私」と。真に最低な少女が、そんなことを素直にぶつけるでしょうか?


 東映版では、名雪は、普通に近い少女です。だけど、強さが全くない、というわけでもない。そう思います。


 まだ。この名雪は弱いままです。だけど、もう一話、残っているんです、彼女には。その結果は、十分ではないかもしれない。けれど、そこに何らかの成長があるならば。



 春になると融けてしまう、雪の名を持つ少女。



 壊されてしまう、雪うさぎに象徴される少女。



 だけど、彼女は壊れません、融けません。



 最後に、彼女の、何らかの強さが見えることを、願って。


~~~


 天使。



 リュックから生えた羽根。



 嫉妬や、恨みや、醜い感情とは無縁の、少女。



 祐一が本当に名雪の幸せを願うならば、と奇跡を発動するあゆのシーンを見て、そんな連想が頭をよぎりました。…もし、これが今作のあゆにかぶせられた特性ならば、制作スタッフはナユキストにとって実に辛い大枠をはめたものだなぁと思います。


 リアルと、夢。


 普通の少女と、天使。


 必ずしも悪意を持ってのものではないにしても、なかなか辛い対比ですね、これは。リアルと夢とは、決して対立を前提とするものではないのですが…。



 東映版の「風」が、一体どこに辿り着くのか。数年ぶりに見返す残り一話、しっかりと見届けたいと思います。
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
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コメント
この記事へのコメント
尺というよりは、スタンスの違い…?
東映アニメーション制作の第1作はもはや記憶の彼方なのですが、レビューを拝見している限りでは、古典的な「東映のテレビアニメ」として作られていたのかなぁ、と考えます。
すなわち、(物語全体の連続性はともかく)基本的には目の前の1話完結方式を主体としている、というスタンスです。
ヒロイン1人分のエピソードを割り当てる方式でこの型を完成させていたのだ、と。
誤解を恐れずに言ってしまえば、魔法少女アニメの文法です。「前回」「次回」との繋がりは曖昧なものとして、この1話分を心温まる佳作にして視聴者にお届けしましょう、という…。

これに対して、京都アニメーションが手がけた第2作は、なんというか「連ドラ」的な作品ですよね。
真琴の話を例に取ると、予兆という形で伏線を張って、最終回直前(第9話)に事態が急転して、最終回(第10話)では登場人物が少しずつ痛みを負いながらも希望に満ちたラストシーンで飾る、といった具合。
この流れが、語源のカノンというわけでもありませんが、全24話の中で互いに少しずつ折り重なりながら一連の物語として仕上がっていく形だったと記憶しています。

見当違いでしたらツッコミください。

私は原作ゲームを存じ上げないのですが、原作において各ヒロインのエピソードが互いに排他的であるなら、それは個々のエピソードの連関をさほど深くは突き詰めないという、東映アニメーションに多い作風には一致すると思います。
一方で京都アニメーションの第2作は、てりぃさんが本放映時から指摘されていたように、互いに排他的なものを一つに繋げる作業に力を入れた作品だったのだろう、と…。

そういう意味で、尺というよりは、スタンスの違いかなぁ、と思う次第です。
まあ、京都アニメーションが1クールで制作した「AIR」をどのように捉えるか、によっては、前提から崩れそうな議論ですけれども…。

余談ながら。
1話完結型と言いつつ、制作段階で想定されていなかった偶然の産物、初回放映時に11-13話は3話連続放映であったことにも、留意が必要かと思います。
●3話・4話
●5話・6話
●9話・10話
●11話・12話・13話
連続放映の組み合わせ形式は以上の通りですが、なんというか、まあ……(^_^;)
2009/12/15(火) 07:59:44 | URL | 加嶋 #Z8QTjApg[ 編集]
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