Old Dancer's BLOG
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Kanon 第8話「少女の檻」
 さて、舞シナリオの、いよいよクライマックスです。


 が。


 今話で舞の太ももがやたらと強調されているのは何なんだw


 終盤で傷ついた舞の足を「見せてみろ」という祐一に対して、「恥ずかしい…」と応える部分への仕込みなんだろうか、とも思いましたが…これ、それほど本筋にとって重要じゃないしなぁ。や、まあ、Kanonはいっちゃん始めは「18禁ゲーム」として世に出ていますし、そういう層へのサービス的モチーフ、と思って済ましておくべきなのかもしれません。

 時間がなかなかとりにくい中、続けざまではありますが東映版Kanonのレビューを今夜もお届けします。
 
 シリーズ構成的には、京アニ版の約半分の話数で、ほぼ同じくらいのシナリオをこなすという苦戦を強いられている東映版ですが…佐祐里が傷つけられてから舞シナリオの終結まで、という視点で見ると、東映版第8話も京アニ版第15話も、ほぼ同じ長さのエピソードをちょうど一話分に収めた形になっています。多少、入りも終わりも前後するところはありますが、大筋で見ると多分キツさは一緒。

 …にしては、展開がまるで異なるんですよね、この2つ。この違いを味わうのは、面白いですよ、純粋に。「普通なら一話分には決して収まらないような長大かつ難解なシナリオ」に対して、二つのスタジオがどのように切り込んでいったのか。尺の長さの違いではない、スタンスや描写の方向性の違いを明確にあぶり出すには、格好の材料じゃないかと思います。

 京アニ版は、当時も書いたことですが「よくもここまで」と思うぐらいに、原作で描かれたモチーフをほぼ完全に一話で描き切っています。演出の工夫などで簡略化したモチーフや、理解を助けるために言いかえられた部分はいっぱいありますが、「完全に落としたモチーフ」はほぼ皆無。で、それだけの量を一気に語りつくすことで、原作とはまた異なる、妙なグルーヴ感と言うかスピード感が生まれているのが興味深いです。

 一方の東映版は、モチーフに関してはかなりの取捨選択を行っていて、「収まりの良い一話にするために、シナリオの骨格に手を入れることもやむなし」という感覚で臨んでいるのが見てとれますね。正直、ここまで違っていたとは思いませんでした(一回見てるはずなんですがね)。そして、モチーフをかなりバサバサと落とした上で、「残せる雰囲気はどこか」「このシリーズで何を描くか」という点に特化していったのであろうことが、おぼろげに浮かぶような作りになっています。


~~~


 原作の舞は、佐祐里さんが魔物に傷つけられた後、自傷的な行動に走ります。

 京アニ版ではこの部分、第14話の終盤で、発作的に自分の腹に剣を突きたてようとし、祐一に止められるシーンに集約されている感じがしますね。そして、そこで気持ちを切り替えて、魔物と立ち向かう姿勢で第15話に続いていく、という…。だから、第15話の道中(ラストになだれ込むまで)ではこの部分、あまり強調されてはいない気がします。

 でも、この東映版の第8話では、その部分が結構色濃く顔を出します。久瀬の手を振り払って、何かで顔を切った舞が、祐一から手当てを受けながら「こんな傷じゃ足りない」というセリフを言うんですが…。「自傷」という方向に対して、舞がこだわり続けているんです。この一点においては、京アニ版よりも原作に近い雰囲気かも、という印象を受けました。

 そしてまた、魔物と対峙する夜の校舎のシーンは、その多くに幻想の中であるかのような、靄のかかった風な描写がなされています。これ、結構手間かかってますよねぇ。なかなかいいんですよ、これ。「動き」の凄まじさや、見えない魔物の描写力では、はっきりと京アニ版に軍配が上がりますが、全く方向性の異なるこのやり方も、これはこれでアリなんじゃないかと思いますね。

 今話のアバンのモノローグでは、あまり原作で聞いた覚えのないセンテンスが顔を出していました。「目覚めなければ、それが現実。夢は、現実」というのがそれです。この校舎の中、舞にとっては「目覚めないでいる夢の中」ってことなんですね。だから、幻想的な雰囲気のシーンとして作られている。ちゃんと一貫しているわけですよ。意図があって、その意図とマッチした映像作りがなされているので、見ていると心地いいんですわ。



 対して、終盤はなかなか難しいところです。

 お母さんがその昔死にかけたこと、それを舞の力が助けたこと、その後珍獣扱いとバッシングが舞を心の檻に閉じ込めたことなどは完全にカット。また、舞が、全ての理由を祐一から聞かされた後に「それでも自分を許せない」ということで自刃しようとした後は…傷ついた舞の体を自分のチカラが助ける、という展開ではなく、際どいところで佐祐里さんが助けに入るというオリジナルな展開になっています。成程、このために佐祐里さんは、原作のように意識不明のままにはならなかったんですな。

 …しかしこれは…これ見ただけでこの顛末をきちんと理解するのは非常に難しいですね。今シリーズの基本方針に則って、複雑かつ幻想的な元のシナリオの雰囲気などをなるべく踏襲しつつ「わかりやすい形に換言・簡略化」されているのは間違いないのですが…いかんせん、元になっているシナリオの仕掛けが複雑・難解すぎます。何故舞が自分の能力で魔物を生むに至ったか、夜の校舎で待ち受けるようになったのかは、一応の説明はされますが、一回聴いて判るほど簡単じゃないし。何故舞が特異な能力を持ったのかは全く語られませんし。私は十分に頑張っている、と思いましたが、いったん原作との対比を始めちゃうと、違う部分の方がどうしても目につくような気はします。

 でも、ある一点で私は「これでもよし!」と思いました。佐祐里が舞にあげた、あのイヤリングへの言及。それが、舞を想う佐祐里の象徴であるそのイヤリングが、「舞を、終わりのない夢=彼女の檻から救い出すキー」として機能しているのが判りましたから。前話から続く今シリーズの舞エピソードを、このイヤリングは美しく括っているのですね。だから、当然に「最後に舞を助けるのは、佐祐里でなければならなかった」のです。

 …そうなると結局、祐一は舞を迷わせただけ、になってしまう気もしてちょっと辛いのですが、このエピソードを「舞と佐祐里の物語」へと還元したことで、「祐一と舞」の近すぎた距離感がちょっと緩和された気もしますので、結果オーライというところでしょうか。

 全体の構造としては、やっぱし京アニ版で描かれた「支え合う三人」の方が美しく見えて私は好みかなぁ。佐祐里が持っていた弱さ、佐祐里が舞を必要とした理由、などを描く余裕が取れなかった分、東映版は難しい舵取りを要求されているので、仕方ないんですけどね。今シリーズは佐祐里さん最強伝説!ということで、納得しましょう。


~~~


 舞以外の部分では、名雪さんの扱いが引き続き、「向かう先の無い一方通行の愛」に位置付けられているのが辛いですね…。京アニ版の名雪さんが「最強の名雪」であったのに対し、東映版の名雪さんはかなり弱いです。祐一への恋心をまだ全然捨てられてなくて、こんなにも未練がはっきりと…。

 これを、「守ってあげたい!」と思える方は、この名雪さんも好きなのだと思います。私は…純粋に辛いですね。微妙な違いなんでしょうが、私が好きなのは「辛い境遇でも笑って頑張ってる名雪さん」であり、稀に「ちょっとだけ弱さを見せてしまう名雪さん」であり、それでもなお「立ち直って頑張ろうとする名雪さん」なので…ここまで弱いと、ちょっと、可哀そう過ぎて見ていられません…。どうだったかな、この辛さ、このまま最終話近くまで行くんだよなぁ…。でも、頑張らなきゃ。ふぁいとっ、だよ?(←そう言えば、このセリフ自体、あんまり言わないよね、今シリーズの名雪さん…)

 この後は…間を置かず、続けざまに栞シナリオの山場へと向かいます…いやホント、無茶ですな、この「13話で全部」ってのw
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