Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
   来訪者数: since 2004/12/2...    
サムデイ イン ザ レイン 改めて
この「太陽」を表すものが、冒頭シーンと対照になる形でラストシーンに配置されていました。そう、ハルヒの「あかんべえ」をした顔のアップです。
(一期レビュー「サムデイ イン ザ レイン」より)


 ……つくづくしみじみと、思い返します。一期のシャッフル順放映によって、「強調されていた部分」と「脇に置かれた部分」との差、というものを。

 この話が時系列順での最終話である、ということは、放映当時からわかっていたことでしたし、実際にDVDが発売された時にも私はそれを味わっているはずなのですが…笹の葉ラプソディ、エンドレスエイト、溜息の三組のエピソードが本来の位置に収まった上で見直す、「完全版」とも言えるこのエピソードは…何ともやるせない気持ちに私を導いてくれました。

 ハルヒを太陽に見立てることへの言及。それをレビュー記事のメインに据えて構成した当時のやり方を、間違っていた、とは思いません。あれはあれで、自分にできる精一杯を正しくこなしたのだとは思っています。ですが…今回の「完全版」を見た時に、当時の私が真に迫れなかった部分のことを、やはり考えずにはいられないのです。

 アル雨ノ日ノ事。…魔法のような出来事など一つも無かったその一日に、起きたことは…。
 
~~~


 既にご存知の方がほとんどとは思いますが…この「サムデイ イン ザ レイン」は、原作にはない唯一のアニメオリジナルエピソードです。ただし、脚本を原作者の谷川流さんが書き起こされてますから、少なくとも脚本上では原作との整合性に最大限腐心されているだろうことは、容易に想像がつきます。

 原作との整合性を可能な限り保ちつつ、新たなエピソードを紡ぐ。そうした要請からでしょうか、この「サムデイ イン ザ レイン」の中では本当に何一つ、「不可思議な出来事」が起こりません。

 でも、アニメの一話分を占めるエピソードとなるからには、何かしら「描かれるもの」があるはずですよね。「不可思議な出来事」に惹起される事件が起きないのなら、日常的な何かを通じてでも、描かれるものが必ずある。そういう視点で見ると、いくつか見えてくるものがあるのですね。一期のレビューで私が書いた、「SOS団にしてはおとなしく見える、ハレ晴れユカイではない一日」「キョンとハルヒが揃わないと輝かない世界」などはその一例ですが…それらは、どちらかと言えばシャッフル順でこそ目に留まりやすい側面だったのかなと今は思います。

 シャッフル順を組み上げるにあたって意図されたことと言えば…最後がキレイに「憂鬱VI」で終われるよう、あの閉鎖空間からの脱出を果たす「キョンからハルヒへのキス」へと繋がる流れが意識されているはずです。従って、あのシリーズ構成の中心は「キョンとハルヒとの関係」に収斂します。ハルヒがキョンをどう思っているか、どれだけ心を寄せているか。それがわかるように、しかも次第にそのボルテージが上がっていくように、憂鬱以外のエピソードは配置されていたんですね。だから、孤島症候群(後編)は、サムデイ イン ザ レインは、射手座の日は、ライブアライブは、全て後半に配置されていたのです、しかもこの順序で置かれていたのです。ハルヒのデレっぷりや魅力やらがどんどん前面に出てくるように、それとハルヒの憂鬱とが途方も無いギャップとなるように。

 だから、時間軸上でラストを占めるこの「サムデイ イン ザ レイン」は、私の目には「ハルヒがもっともデレ状態に達した様子」を追加するエピソードとして映りました。原作にないエピソードとして、余計なものを付け加えずに原作のテイストを一層高める、極上のスパイス的な一品として。



 ところが。



 完全時系列順で、かつてアニメとしては制作されなかったエピソードも含めて放映された今回のシリーズでは、既知の「近づいていくキョンとハルヒの関係」以外にも、別な要素がどんどん高まっていく様を目の当たりにしました。シャッフル順でも折々には見えていたけれども、単発の個々の描写という印象で留まっていたそれが、一連の流れとしてキレイに流れていく様が。


~~~


 定点観測よろしく、固定されたアングル。


 無秩序に延々と聞こえてくる、校内の喧騒やラジオの音。


 その中で一人、ほとんど身動きせずに本を読み続ける、長門有希。


 …この辺りには、いかにも山本さんらしい「おふざけの真骨頂」が見てとれますね。「いかにもネタくさい」ので、ついついそれだけのものと思ってしまいそうになるんですが…その一方で、これらは淡々と流されることで、別な側面を浮かび上がらせる重要なモチーフにもなっています。見る者の誰もないフィールドで、長門が一体どういう時間を過ごしているのか、ということです。


 待機する者、としての、長門。


 それは、笹の葉ラプソディでも垣間見えた、「長い時間を待つこと」そのものが存在意義とさえ見える長門であり。


 それは、エンドレスエイトで明らかになった、600年近くもの耐えがたい時を、ただ観測者として全てを記憶しながら過ごした長門であり。


 一期では「ミステリックサイン」辺りから辛うじて香りながらも、この「サムデイ イン ザ レイン」ではついついネタ的に見てしまいたくなる、長門の「待機することの辛さ」が、今シリーズで補完されたエピソードと時系列順放映の恩恵によって、我々は真に迫ったものとして捉えることができるようになっているんです。


 ただただ、待つ。


 その時間の、何と長いことか。


 大して広くはないはずの、SOS団の部室に、一人座って…ずっとずっと、本のページをめくり続けて…。


~~~


 そして、もう一つ。


 今回のシリーズ=時系列順で浮かび上がった、長門に関することが、もう一つ。


 彼女、変化しているんですよね。その、姿勢と言いますか、行動の範囲が。具体的に言えば…彼女は、次第に「我」に基づく行動が増えていくんです。


 最初の方は、彼女の与えられた役割の範囲でしか、彼女は動いていません。例えば、「憂鬱」の中での行動は全て、情報統合思念体の一端末としての行動ということで、辛うじて説明がついてしまうんです。憂鬱II~IIIでキョンに秘密を話したことは、異なる勢力が近接し合うあのSOS団の環境において、より自陣営の立場を高めるための行動と考えてよいですし、憂鬱IVで朝倉に襲われたキョンを救ったのは、ハルヒの動揺を誘おうという性急すぎる行動を阻止するためですし、憂鬱VIで閉鎖空間からのキョン達の脱出を願ったのも、情報統合思念体の意志に合致する行動でしかありません(もちろん、だからこそ、その中に忍ばせた「わたしという個体もあなたには戻ってきて欲しいと感じている」「また図書館に__」の言葉はグッとくるのですけれど…)。その後の「退屈」ではハルヒの機嫌を直すべく、バットにオートホーミングモードをかけましたが、これも彼女の役割の範疇でしょう。

 ところが、「笹の葉ラプソディ」では、余程のことがないと使わないような力を使って、キョンを現在時間軸へと戻しています。長門個人の意思で?いや、朝倉がキョンを殺して急変するハルヒの様子を観測しようとしたこと、それを阻止すべきとして長門が動いたことを考えますと、「キョンが現在時間軸から失われることは得策でない」という情報統合思念体の判断も、決してあり得ない話ではありませんが…。残念ながらここは、「今回は例外」ということについて、それ以上は何の説明も無いため、それ以上の明確な答えは出せません。

 続く「ミステリックサイン」「孤島症候群」では、長門は己の課せられた役割以外のことを、特段していないように思えます。そして、「エンドレスエイト」も、基本的には「観測者」の役割以上のことはしていませんが…お面を買ったり、珍しい虫を見つけてキョンに見せたり、これらも情報統合思念体の意志や目的に基づく行動と言えるでしょうか?明らかに「遊び」が増えてきてる気がするんですよね、この辺から。「溜息」以降の文化祭に絡むエピソードにおいては、クラスの出し物のために魔法使い風の扮装をしてくる長門が描かれていますが、これだってそうです。ハルヒという存在の観測のために必要なこととは、あまり思えません。「ライブアライブ」での、予言めいた占いでカップルを震え上がらせてる長門は、やっぱり楽しそうなんですよ。

 そして、極めつけは、先日もレビューに起こしました、「射手座の日」ですよね。DVDに収録された予告編では、彼女は明確に「勝ちたいの」と言いました。例え負けたとしても、ハルヒが閉鎖空間を発生させる恐れはないだろうと、キョンや古泉が考えていたのに、長門は勝利を望みました。もう、情報統合思念体の意志がどうとかは全く関係ありません。長門有希という個体、それ自身の意志です。




 そんな長門が。




 キョンの問いにわざと答えず、部室にキョンと二人きりになることを望み。




 キョンが風邪をひくことを心配して、カーディガンをかけてあげている。




 ………たはああああああああああああ。(嘆息)




 何と言いますか…これは何だか切ないよね?何て言うんだろう…平均的な人間に比べると感情にはかなり縁のないような、まかり間違うとロボットなどの無機的な存在に近似されかねないような、そういう風に見える長門の中に、少しずつだけと確実に大きく育っていく「己の意志」「思い」というものが…そりゃぁやっぱ切ないと思うんですよ。少なくとも、あたしゃ切ないと思ったんです。


 更に切ないのは…一方では接近していくキョンとハルヒの姿が、やはり表に出てきてしまっていることですよねぇ。何度か書いたことがありますが…そうですね、憂鬱IVに絡む補足考察の記事が一番いいかな。あそこでは、長門は「月」に象徴されるんじゃないか、という主旨のことを書いたんです。一部抜粋しましょう。

太陽=ハルヒという描写が直前の話~「サムデイ イン ザ レイン」でされていたことを考え、更に「月」が「太陽」に照らされて初めて光り輝く存在であることを合わせて解いていくと、「長門の本作における位置」が象徴されている気がしてなかなか興味深いのですよ。


 長門有希という個体は、ハルヒを観測するために生み出された、情報統合思念体の一端末。言いかえれば、ハルヒあっての長門。太陽が照らすその陰で密やかに、反射光でのみ輝く存在。太陽が照っている間は、陰に隠れる、隠されてしまう存在…。


 そこで。「二枚のカーディガン」です。


 キョンは「もう一枚のは誰のだ?」を訝しがっていましたが、あれはもう長門以外にはいないだろう、と思いますよね?でも、そこで安心しちゃいけないかもしれないんですよ。あそこには、あのシーンには、もう一つの、重大な含意があったんじゃないかと。


 だって。


 長門がかけたカーディガンは、「ハルヒが後からかけたカーディガンで覆い隠されてしまった」のですよ?


 キョンが自分の手でめくってみるまで、二枚のカーディガンがかけられているとは、気付けませんでした。そして、一体誰がかけたのか、結局キョンにはわからずじまい。長門の分の一枚しかかかっていなければ、キョンはハルヒに尋ねたでしょう。その問答の結果、長門の好意にたどり着いたかもしれません、いや、そうでなくても最悪、「誰かがかけてくれた」という事実だけは残ったと思います。だけど…残ったのは、「ハルヒと誰かがかけてくれた」という事実。「ハルヒと誰か」です。



 長門が見せた、月のように控え目な彼女自身の意志は、ハルヒの太陽のようにまばゆい光によってほぼかき消えてしまったんです。



 ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!



 これは!これは「切ない」どころじゃないですよ!何とせん!このもきゅもきゅ言わされるようなやり場のない気持ちを、一体何とせん!!



~~~



 …この流れで劇場版の「消失」へと向かうことは、恐らくとてもすんごいことなのでしょう。少なくとも、今回の「サムデイ イン ザ レイン」には、3年前から一切の手が入っていないんですから!当初から調整に調整を重ねてハルヒの一連の物語を紡いでこられたことが、大きなクライマックスへつながろうとしている…そのことに私自身「改めて」感謝しつつ、レビューの筆をおきたいと思います。

 今がまさに、劇場版制作の作業真っ最中かと思いますが…京都アニメーションの皆さま、どうかお体に気を付けて、頑張ってくださいませ。必ず見に行かせて頂きます。
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
■関連記事~
 我が家のTSR前夜祭 (2005/07/12)
 ん?!これって… (2007/05/05)
 聲の形、9月17日公開 (2016/04/08)
 「もってけ!セーラーふく」について (2007/08/06)
 日常の第3話 (2011/04/17)
 フルメタTSR最終巻発送! (2006/03/23)
 グレンラガン 第10話「アニキっていったい誰ですか?」 (2007/06/04)

テーマ:涼宮ハルヒの憂鬱 - ジャンル:アニメ・コミック

コメント
この記事へのコメント
これ思い出しました
http://www.syu-ta.com/blog/2008/05/09/021703.shtml
2009/11/15(日) 23:57:27 | URL | T #-[ 編集]
コメントを投稿する
※コメントについてのポリシーはこちらです。初めての方はご一読下さい。
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
※トラックバックについてのポリシーはこちらです。初めての方はご一読下さい。
http://terry.blog1.fc2.com/tb.php/3114-2563d9b5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
JUGEMテーマ:涼宮ハルヒの憂鬱  ハルヒ改めて、第28話(最終話)の感想です。 サムデイ イン ザ レイン
2009/11/09(月) 21:58:10 | blue bleu