Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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Clannad After Story 総集編「緑の樹の下で」
 その樹の下には、願いが集まる。


 その樹の下には、思いが集まる。


 嬉しさ、苦しさ、楽しさ、辛さ、笑顔も泣き顔も、越えてきた全てが…。


 ここに集い、過ぎてきたそれらを今一度語ろう。君が僕らのように惑った時に、力強くそれを越えていくための、糧とならんことを願って。
 
 …本来なら、この記事で終わるだろうと思っていたのです。一年半にわたって続けてきたCLANNADのレビューについては、ここで完結する、と。最後が総集編である以上、それほど多くのことが書けるはずもなく、なぁなぁで終わるか、或いは「総集編」で終わることへの苦言めいたものを書き連ねることになるのか…そんなことを考えておりました。いずれにしても、ちょっと、ロクな記事にはならない感じがしていたんで、それで締めくくるのは相当にカッチョワリィよね、とも思っていたんですが…。

 幸いなことに、「もうひとつの世界」が最後に待っていることが明らかになりまして…今回の総集編は自分にとって一つの区切りに過ぎず、本当の最後では無くなってしまいました。

 結果、「これを最後にしなくて良くなった」のは嬉しいんですが、「益々今回の記事は書きにくくなった」のも事実だったりします(爆)。

 いつもとは毛色が異なる感じにはなりますが、ご容赦下さい。


【思いの在処へ】
 何故、総集編なのか?

 と、大上段に振りかぶっておいてナンですが、答えはありません。私個人は「解なし」ということに、したいと思っています。

 だけど、やっぱし気になるんですよね。何故、総集編を作ることにしたのか、その理由が。

 最終回を見るぐらいまでは、私なりに想定していた理由がありました。DVD8巻の、残りの一話が総集編で埋まるのだろうと。一期8巻の3話目を埋めた智代編にあたるものが、総集編なんだろうと。これは、個人的にはあまり燃えませんで…う~ん、そうかぁ、ちょっと残念だなぁ、という感想でいたんですが…嬉しいことに、杏編が制作されることがわかりましたので、アフターDVD8巻の3話目は一期と同じく、「もうひとつの世界」で決まりですよね。

 それで、逆に「総集編」の制作される理由がわからなくなりまして。埋めるべき余白がないのなら、埋めるために総集編を作ったのでは、ないはずです。

 もちろん、これはオトナのツゴウ的なものが大いに考えられるところですし、実際そうした要請によるところが大きいのでしょう。AIRの総集編も、視聴者の反響の大きさを受けて急遽放映が決まったものでした(その辺がわからずに、「もう一話分の枠があるなら、尺の足りないところをもっとカバーすべきだったのに!」という意見を言う人がそこそこいたのが懐かしいです)。CLANNADも、好評の声をベースに、「もう一話の枠」が用意されたことは、想像に難くありません。

 しかし今回は、とりあえず繋ぎ直して再構成したAIRの総集編とは違って、セリフの新録もたくさんありましたし、最後にちょっとだけではありますが新作映像もありました。ですから、「急遽」ではなく、もう少し前からお話があって、しっかり準備された上で作られたものであることが見て取れるのですよ。

 放映上は全24話の枠を用意します、という要請があったこと、それを受けて今回の構成がなされたことは確かだと思うんです。それが、「全24話の本編」ではなく、「全23話+番外編」でもなく、「全22話+番外編+総集編」であった、その理由は何なのか、と…。

 多分、そう考える自分は、この総集編の中に、「制作スタッフの思い」を見つけたいんだと思うのです。


~~~


 うる星やつらのテレビアニメ版は、当初押井守監督がチーフディレクターを務めておられたのですが、途中で降板されてやまざきかずお氏が後を引き継ぎました。降板されるまでの129話、2年にわたる放映も、全てが順風満帆というわけではなかったようですが、特に終盤は悲惨な週が結構ありました。明らかに制作が追いついていないための、間に合わせの総集編が2週続くような事態まで。

 これは別にうる星やつらに限ったことではありませんで、結構な数のアニメで行われています。自分が目にして知っているだけでも、連載中のストーリーに追いつきそうになってる少年ジャンプのアニメ化作品では結構見かけていますし、近年ではウルフズレインが本放映中に予定外の総集編を4回挟み、そのために本放映ではストーリーが完結しなかった、なんていう例もあります。

 どの道、自分にはあまり印象が良くないものが多いんです。総集編は。だから、理由が欲しいんですな。自分の好きなスタジオが、総集編を作ろうとした、その理由が。やむにやまれずではなく、クリエーターとしてどういう欲求があって、その総集編に取り組んでいったのか、という。

 オトナのツゴウのみで納得すべきなのかも知れませんけどね。それ以外に理由なんてない、というのが真実なのかも知れませんし…。


~~~


 一つの可能性として、「一期とのシンメトリーを保ったシリーズ構成が先に決まっていた」というのはあり得ると思います。全22話+番外編+もうひとつの世界、というこの構造。総集編は、当初は計算に入っていなくて、途中から付け加わることになった、と。

 実際、京アニの段取りの良さには定評がありますし、シリーズ構成~どの話でどのエピソードをやるか~については、かなり初期に構想が固まっていたと考えて間違いないでしょう。「二期の放映は、24話分の枠がある」という話が現実味を帯びてきた時には、既に二期の基本的な構成=全22話+番外編+DVD初回特典用のもうひとつの世界、というものはかっちり固まっていて、とても動かせない状況だった…十分にあり得る話です。だから、その枠の一つは「総集編」にした、と。

 これは答えではありません。私個人の、単なる妄想です。こう思いたい、という、願望です。だけど、ただの妄想・願望に終わってしまうとやはり悲しくもありますので…ちょっとだけ、その先を考えてみることにします。事情があって(かどうかわかりませんが)作ることとなった総集編に、制作スタッフが込めようとしたものを。



【語り継がれていくもの】
 今回のアニメ化において、ある程度概ねは「原作どおり」を意識したナビゲートがなされていたのは、周知のことかと思います。ただ、もちろん全てが同じというわけではなく、「無くなっている部分」「意味合いが変わっている部分」も相当にありますよね。それは、マルチシナリオの一本化に伴って必要となった措置だったり、アニメというフォーマットに適した形で変わった部分だったり、解釈の差異によって異なる描写がなされたものだったり、まあ様々なものがあるわけですが。

 その一つに、特に二期において強力に高められたと感じたモチーフがあります。それが、ED曲「TORCH」に代表されるような、人から人へ、世代から世代へと受け継がれていくものだと、私は思うのです。

 町そのものが大きな家族、だんご大家族です、というモチーフは、原作にもあるものですし、アニメでもそれは描写されていました。だけど、原作のそれが「町への広がり」の方により重きを置いているのに比べて、アニメのそれは「世代から世代へ」という部分に重心が寄っているように感じるんですね。それくらい、EDの「TORCH」の存在感は、大きかった。最終話の中でまでフォローされるとは予想していませんでしたが、実際にあれを見た後だと、実にしっくりとはまります。

 光の玉~人々の思いが朋也達を救っているのですから、人と人の繋がりがだんご大家族と直接関連する重要モチーフであることは疑いありません。だから、元々「人と人との繋がり」も原作の重要な部分ではあるのですが…ああして視覚化されることの意味合いは大きいですよね。リレーのバトンのように、渡されていく何か。そういう含意とともに、流れていく人の列、歩き続けていく人々、その先頭に立って未来へと進んでいく子どもたち…。

 だから、今回の総集編が、朋也から汐へと語って聞かせる…親から子へと受け継いでいく形式になっていたのは、当然の帰結なんですね。


~~~


 20数分しかない時間の中で、40話以上のストーリーを、掻い摘んでまとめる。やーやーやー、無理無理無理、絶対に無理っ!てね、私なら裸足で逃げ出したくなりますよ。なのに、スッキリとまとまっていましたよね。素晴らしい出来だったと思います。もちろん、そのために落とした部分は数え切れないほどあるわけですが…焦点を「朋也と渚の物語」に当ててしっかりと構成されているため、実に自然な流れにまとまっていました。

 中には、その流れからちょっとはみ出る部分もあります。その一つは、各サブヒロインや春原など、仲間を中心とした各キャラクター達の紹介になっている部分。これは、先の考察~人と人との繋がり~に重点が置かれていることを考えると、納得がいきます。彼らとの繋がり無しに、朋也と渚は道を進めなかったでしょうから。ことみのストーリーで、庭の修復に彼女らが手を貸す改変が成されたことを思い出しますね。あの頃からその方向は揺るぎなく貫かれてきたのだなぁと思い返すに、感慨は深まるばかりです。

 そして、もう一つ。一期の最終話の部分、渚がステージで立ち往生する部分の解決に、結構な時間を割いていますよね。これ、個人的には最初、ちょっと違和感があったんですよ。確かに一期のクライマックスという意味では大事かも知れないけど、全体のストーリーとして見た時に、他よりも重要なの?って。だって、視聴者の涙腺を破壊しまくった二期後半のモチーフさえ、結構な部分が落とされてるんですよ?それらを削ってまで、ここを残すって何だかアンバランスじゃない?って。

 でも。上記の考察を進めるうちに、ちょっと合点がいきました。一期と二期のシリーズ構成に、ある程度のシンメトリーを持たせられていることは、先に述べた通りです。そして、その二回の最終回において描かれたものが、それぞれ何であったかを振り返ってみると…それは、「家族というものが、渚を救う話」だったことに、改めて驚くのですよ。一期の最終回は、文字通りの家族である秋生が、ああして活を入れる部分を中心として。そして、二期の最終回は、家族と言っても過言ではない町の人々の思いが、光の玉として集まって。


 拡大されて、一層の広がりで展開する、繰り返された奇跡。


 ああ…ははは、なんだ、またやられちゃってるじゃないかよ…なんつーか、その、な?やっぱオレ、この人たちには、一生敵う気がしないわ…。


 グッジョブでしたっ!!


 元より、「制作時間不足による間に合わせの総集編」などとは全然異なることはわかっていましたけれど…ここまできちんと「込めるもの」とか持ってこられると、もう溜息しか出んわ…。


~~~


 渚が死んでからの日々を朋也が明確に記憶していること、そしてその後に立ち戻る出産の日への回帰が「朋也にとっては一回限りの繰り返しであった事実」の提示などは、原作ゲームから嗅ぎ取れる広がりのある解釈とは微妙に異なる、アニメ版での見解を明示した点で非常に意義深かったと思います。その改変に対する批判が一部にあるのも存じていますが、スタッフがどう考えてるんだかわからん曖昧な状態よりは、「このアニメはこういう立場・解釈で描写しています」って明言される方が、スッキリしていいじゃないですか。ねぇ。

 そして、総集編は汐と渚が救われたあの日の回想を、あの名曲「願いが叶う場所」とともに描き終えて、新作映像へと繋がります。その場面は、あの樹の下。幼い渚が救われた場所、光の玉が集まった場所、あの少女が横たわる、あの場所。まさに、願いが叶う、あの場所。

 願いが叶う場所で、親から子へと大事なことを語り継ぎ、何かを受け継いで、この物語は終わります。この後も、子どもたちがその何かを受け継いでいくことを、強く私たちに印象づけて。彼らの物語が、人の物語が、これからも続いていくことを、心に残して。



 …結局、総集編まで含めて、早朝レビューを完遂してしまいましたね(苦笑)。そうさせるだけのものが私にとってはあったので、仕方ないんですけれど。その事実を以て、この作品と制作スタッフの皆さまへの私の感謝の大きさと致したく存じます。

 繰り返しになりますが、どうもありがとうございました。「もうひとつ」が残っていますが、まずは今回のこの最後まで、走り続けてこられたことに、感謝したいと思います。この作品と、それを成したスタッフの皆さまと、足繁く当ブログに通って下さった皆さまと…そのどこが欠けても、私は今日ここにいなかったような気がします。私もまた、多くの人から何かを受け継いでこれた一人であることを、思わずにいられません。願わくば、私から次の方々へ継いでいくものが、幾ばくかでもあらんことを。

 またいずれ、お会いしましょう。ありがとうございます。そして、さようなら。
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
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テーマ:CLANNAD -AFTER STORY- - ジャンル:アニメ・コミック

コメント
この記事へのコメント
お疲れ様でした!
てりぃさんこんばんは。

CLANNADASもこれで終わりですね。総集編で終わりというのがこの作品の道のりを思い返すのにぴったりだと思いながら見ていました。

CLANNADは人生って言葉がありますが、朋也や渚たちの人生では確かにあったのだと思います。たどり着いた場所で聴こえる幸せな声に感動しましたよ。

1期からこのASまでの長い長い道をお疲れ様でした。
2009/04/23(木) 22:33:36 | URL | 日和 #mQop/nM.[ 編集]
とりあえず、肩の荷が下りた感じです。
>日和さん

>総集編で終わりというのがこの作品の道のりを
>思い返すのにぴったりだと思いながら見ていました。

ああ、なるほど。それは確かにそうかもしれませんね。私はご覧のように、ちょっと斜に構えた見方になっちゃってますけれど…日和さんの方が前向きだし、いい見方だと思います。

>1期からこのASまでの長い長い道をお疲れ様でした。

始める前は「当然にやりきる」と思ってましたし、道中もダレたりやめようと思ったりしたことはないんですが…今振り返ってみると、結構大変な道のりを来たことに、今更ながらに感じ入っています。あまり、四十代のおっさんがすることじゃないですね(苦笑)。

でも、おかげさまで楽しく続けてこれましたし、やってよかったとも思ってます。私を引っ張ってくださった、作品のスタッフの皆様と、こちらに記事を見に来てくださった皆様に、改めて感謝でございます。ありがとうございました。
2009/04/25(土) 22:27:50 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
今更ながらハリ
今日の25時からはいよいよ杏編の視聴ですか?
杏編の前だから一応滑り込みですね。
やっぱり、てりぃさんはバストオンザナユキストですね。

総集編と聞いて思い出すのはAIRでした。
元々短くした作品をより短くしたらあんな感じになってましたが、
今回のCLANNADはより長いわけで…。
単純に朋也と渚の関係を中心にしてまとめるのかと思いましたが、
朋也が汐に自分と渚のことを中心に語るという点は驚きでした。
うまいことしますね。さすがです

>「朋也にとっては一回限りの繰り返しであった事実」
最終回のときのコメントに「IFの物語はない」と言いましたが、
つまり本当に「IF」の物語なんですよね。
原作ではクリアの過程で必ず通る道です。智代編も杏編も。
つまりIFというより、原作では
「繰り返される中で、本当にあった物語」であるに対して、
アニメでは
「こんな結末もあったかもしれない物語」
であり、智代編も杏編も本編中の朋也とは一切関係ないんですよね。
実際、汐に語る際に智代編や杏編のような記憶にあるとは、
微塵も感じ取れませんし。
「渚と出会わなかった朋也」そんな感じかもしれませんね。それが
>「アニメ版」の「CLANNAD」

最終回時のコメントで言いたかったことは大体そんな感じです。
なんかイマイチな感じの書き方だったんで、
こんな感じに修正してみました
2009/07/01(水) 02:21:18 | URL | これも滑り込みスト・つちむ #-[ 編集]
懐かしの総集編
三ヶ月くらい前、でしょうか…自分の書いた文章を、程よく忘れているくらいの頃合いでございます…。

>つちむさん

せっかく滑り込んで頂いたのですが、別記事に書きました通り、杏編の鑑賞→即レビューのコンボは、7/4深夜を予定しております。ああ、体力もつかなぁ?
2009/07/04(土) 01:21:18 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
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