昨夜明らかになった、らき☆すたの山本監督降板の報せには、「降板劇そのものが、かなり以前から仕込まれているネタではないか」という解釈(何度もTBでお世話になっている「丈・獅子丸の咆哮」さんの記事)の余地がまだ残っているようです。通常ならば、そんな考えには不謹慎な色彩の方が色濃く出てしまいますが、これだけネタに溢れた「らき☆すた」ならば、「…案外、それもありうるかも…」と本当に思えてしまうから困ったものです。もしもこの件自身が「作品を盛り上げる壮大なネタ」ということに決着するならば、私は騙されたことを怒りもせず「やられた!」とだけ言って受け入れようと思います。
また、昨夜私が頂戴したWeb拍手では、こんなご意見がありました(転載ご容赦下さい)。
なるほど。これまた深い話ではあります。少なくとも実際に、「ネット議論について考える」機会としては、またとない機会には違いありません。
また、昨夜私が頂戴したWeb拍手では、こんなご意見がありました(転載ご容赦下さい)。
私はガイナ事件に絡んだ、京アニからの援護射撃と読んでいます。ネット議論について考える良い機会かと
なるほど。これまた深い話ではあります。少なくとも実際に、「ネット議論について考える」機会としては、またとない機会には違いありません。
「権利と責任」という記事では、主に「普段見えてはいないけど、視聴者側が本当は負っているはずの責任」について言及しようと思っていました。しかし、「権利と責任」が必ず対で存在すること自体は、もちろん視聴者側に限った話ではなく、全ての人に当てはまる話だと思っています。
表現を志す人たちにも、当然「表現する権利」とともに「その表現に対する責任」がついて回ります。その内容においていわれなく人の利を害すれば、それは責任を取る事態に発展する。これまた、当たり前のことなんですね。そして実際に、今回のGAINAXや京アニに限った話ではなく、監督クラス以上の降板劇は以前からしばしば起きていることなんです。もっとも、今回のように全く一緒の時期に、よりによって私が絞って見ている2作品の両方がこんな事態に発展するなんて経験、はじめてのことではあるんですけれど。
企業体の責任の取り方については、既に日本社会では「相応に上の者の辞任」というやり方がシステムとして定着・機能しています。その方法論に対して「極めて日本的でかつ安易」「責任を取るならば最後まで全うするべき」という批判があるのは存じていますけれど、「辞任をもってその落ち度を自分の恥として認める」ことが世間的・当人にそれなりの罰として認知されているうちは、このやり方もアリだろうと私には思えますので、その部分の議論は今回は触れません。少なくとも、それはある程度機能しています。企業体の責任ある立場の者にとっては、責任の取り方、取らされ方は存在し、機能していると思うのです。
だから、GAINAXの赤井取締役の辞任・プロデューサの降板は、(その失態が作品中の表現そのものに直接起因するものではないにせよ)彼が世間と企業とに与えた影響の大きさを鑑みれば、その責任の取り方自体はやむなし、という印象が強いです。今回の京アニの山本監督の降板の方は、私自身まだちょっと判断が付かないところがありますが、表現に行きすぎたものがあったことを企業として認めた結果なのであれば、それもまたやむなし、ということになるのだと思います。万が一、本当はこの件はネタとして成立させたかった仕込みだったのが、これからタイミング的にも世間への影響にしても「シャレにならない」事態に拡大してしまい、今さら「ネタでした〜」とか言えない、なんていう結果になってしまったら…それはそれで「お騒がせに対する責任の取り方」なのでしょうね。…ま、さすがに、それは考え過ぎか。
〜〜〜
さて、企業体の方はまあそのぐらいにしておいて、個々人の責任の取り方については、これはもうシステムとしてはほとんど存在していない、という印象が強いです。わかりやすい例としては、行きすぎた誹謗中傷発言が刑事事件に発展してタイーフォ、なんてのがありますが、そんなのごくごく一部に過ぎません。ほとんどのネット上の発言は、それがどんなに世間に大きな影響を与えるものであっても、お咎めなし、というのがほとんど。
これはほとんどの個々人が、責任を取らせるに忍びない弱者であるから、恐らくは大きな心を持って見逃されているのでしょう。しかしそれが、「アノニマスな自分たちには、自由に世の中のものを批判できるという大きな権利があって、一切責任を取らなくてもいいのだ」という風に、暗黙のウチに誤解されているような気がしてなりません。
それは、違うよね、と。
その良し悪しは別にして、日本が今も「恥」に立脚する文化の上に成り立っているならば、大きな事態に発展したことへの責任は自分自身の中になければなりません。精神的に重荷を背負う、ということにも良し悪しはありますが(個人的には思い詰めることを決していいこととは思いません)、それでも他にナンにも負うものがないなら、そのぐらいは自分の中で負っているべきじゃないか、とは思いますね。
法律は法律として、守られるべきものです。ですが、法では裁かれないことが、イコール「倫理的にも善である(or 悪ではない)」という保証はどこにもありません。それすら越えちゃって「オレ、別に悪でいいもん」なんて堂々と言っちゃう人は、いっぺん痛い目に遭いなさい。人の痛みを、自分で感じてみたことがないんじゃないか、と責められても言い訳できないでしょ。善であろうとしても人を傷つけちゃう間違いを犯すのが人間ではありますが、ハナから悪でいい、なんてのは下の下ですよ。偉い人、表舞台から見える人だけが責任を取ればいい、なんていうのは、ただの甘え、なし崩し的な「モラルの崩壊」です。以前の繰り返しになりますが、見えようと見えまいと、またシステムとして機能していようとしていまいと、相応の責任というものは本来的に存在するものなのです。
〜〜〜
以下、全然上記の文章とはカンケーないけど、面白いものを見つけたので追記〜。
上記で「モラルハザード」という言葉を使おうとして、何となくイヤな予感がしたので調べてみたら案の定(笑)。日本で多く用いられている「モラルハザード」の意味は、明らかな誤用とのことです。ああ、アブなかった(笑)。
「モラル ハザード」
自分、しばらく金融関係に勤めていた経験があるんですが、その自分でも完全に意味を取り違えておりました。ま、金融関係と一括りにしても、保険業界と証券業界と銀行業界では、常識とされるものも覚えるべき内容も全然異なりますから、しょうがないんですけれど。…いや、自分の不勉強の言い訳ですね、お恥ずかしい。orz
ナンでこういう誤用が広まったのかは、何となくの記憶ではあるんですけれど、不良債権問題が深刻化しつつある時期に、マスメディアで散々にこの言葉が使用されたことが影響している気がします。「公的資金の安易な投入は、モラルハザードを招く」なんていうのが典型例かな。ま、この例はギリギリ、本来の意味を踏まえた上での比喩的表現、と言えなくもないですが(危機回避のシステムを整備しすぎることで危険の発生確率が高まる、と読めなくもないので)、それを単なる倫理観の問題として読み取ってしまった多くの人(私も含めて)が、そういう誤用を広めてしまったのでしょう。
そのことの責任は、一体どこに…ああ、もうその件はおしまい。
表現を志す人たちにも、当然「表現する権利」とともに「その表現に対する責任」がついて回ります。その内容においていわれなく人の利を害すれば、それは責任を取る事態に発展する。これまた、当たり前のことなんですね。そして実際に、今回のGAINAXや京アニに限った話ではなく、監督クラス以上の降板劇は以前からしばしば起きていることなんです。もっとも、今回のように全く一緒の時期に、よりによって私が絞って見ている2作品の両方がこんな事態に発展するなんて経験、はじめてのことではあるんですけれど。
企業体の責任の取り方については、既に日本社会では「相応に上の者の辞任」というやり方がシステムとして定着・機能しています。その方法論に対して「極めて日本的でかつ安易」「責任を取るならば最後まで全うするべき」という批判があるのは存じていますけれど、「辞任をもってその落ち度を自分の恥として認める」ことが世間的・当人にそれなりの罰として認知されているうちは、このやり方もアリだろうと私には思えますので、その部分の議論は今回は触れません。少なくとも、それはある程度機能しています。企業体の責任ある立場の者にとっては、責任の取り方、取らされ方は存在し、機能していると思うのです。
だから、GAINAXの赤井取締役の辞任・プロデューサの降板は、(その失態が作品中の表現そのものに直接起因するものではないにせよ)彼が世間と企業とに与えた影響の大きさを鑑みれば、その責任の取り方自体はやむなし、という印象が強いです。今回の京アニの山本監督の降板の方は、私自身まだちょっと判断が付かないところがありますが、表現に行きすぎたものがあったことを企業として認めた結果なのであれば、それもまたやむなし、ということになるのだと思います。万が一、本当はこの件はネタとして成立させたかった仕込みだったのが、これからタイミング的にも世間への影響にしても「シャレにならない」事態に拡大してしまい、今さら「ネタでした〜」とか言えない、なんていう結果になってしまったら…それはそれで「お騒がせに対する責任の取り方」なのでしょうね。…ま、さすがに、それは考え過ぎか。
〜〜〜
さて、企業体の方はまあそのぐらいにしておいて、個々人の責任の取り方については、これはもうシステムとしてはほとんど存在していない、という印象が強いです。わかりやすい例としては、行きすぎた誹謗中傷発言が刑事事件に発展してタイーフォ、なんてのがありますが、そんなのごくごく一部に過ぎません。ほとんどのネット上の発言は、それがどんなに世間に大きな影響を与えるものであっても、お咎めなし、というのがほとんど。
これはほとんどの個々人が、責任を取らせるに忍びない弱者であるから、恐らくは大きな心を持って見逃されているのでしょう。しかしそれが、「アノニマスな自分たちには、自由に世の中のものを批判できるという大きな権利があって、一切責任を取らなくてもいいのだ」という風に、暗黙のウチに誤解されているような気がしてなりません。
それは、違うよね、と。
その良し悪しは別にして、日本が今も「恥」に立脚する文化の上に成り立っているならば、大きな事態に発展したことへの責任は自分自身の中になければなりません。精神的に重荷を背負う、ということにも良し悪しはありますが(個人的には思い詰めることを決していいこととは思いません)、それでも他にナンにも負うものがないなら、そのぐらいは自分の中で負っているべきじゃないか、とは思いますね。
法律は法律として、守られるべきものです。ですが、法では裁かれないことが、イコール「倫理的にも善である(or 悪ではない)」という保証はどこにもありません。それすら越えちゃって「オレ、別に悪でいいもん」なんて堂々と言っちゃう人は、いっぺん痛い目に遭いなさい。人の痛みを、自分で感じてみたことがないんじゃないか、と責められても言い訳できないでしょ。善であろうとしても人を傷つけちゃう間違いを犯すのが人間ではありますが、ハナから悪でいい、なんてのは下の下ですよ。偉い人、表舞台から見える人だけが責任を取ればいい、なんていうのは、ただの甘え、なし崩し的な「モラルの崩壊」です。以前の繰り返しになりますが、見えようと見えまいと、またシステムとして機能していようとしていまいと、相応の責任というものは本来的に存在するものなのです。
〜〜〜
以下、全然上記の文章とはカンケーないけど、面白いものを見つけたので追記〜。
上記で「モラルハザード」という言葉を使おうとして、何となくイヤな予感がしたので調べてみたら案の定(笑)。日本で多く用いられている「モラルハザード」の意味は、明らかな誤用とのことです。ああ、アブなかった(笑)。
「モラル ハザード」
自分、しばらく金融関係に勤めていた経験があるんですが、その自分でも完全に意味を取り違えておりました。ま、金融関係と一括りにしても、保険業界と証券業界と銀行業界では、常識とされるものも覚えるべき内容も全然異なりますから、しょうがないんですけれど。…いや、自分の不勉強の言い訳ですね、お恥ずかしい。orz
ナンでこういう誤用が広まったのかは、何となくの記憶ではあるんですけれど、不良債権問題が深刻化しつつある時期に、マスメディアで散々にこの言葉が使用されたことが影響している気がします。「公的資金の安易な投入は、モラルハザードを招く」なんていうのが典型例かな。ま、この例はギリギリ、本来の意味を踏まえた上での比喩的表現、と言えなくもないですが(危機回避のシステムを整備しすぎることで危険の発生確率が高まる、と読めなくもないので)、それを単なる倫理観の問題として読み取ってしまった多くの人(私も含めて)が、そういう誤用を広めてしまったのでしょう。
そのことの責任は、一体どこに…ああ、もうその件はおしまい。
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この記事へのコメント
こんばんわ。
なんだか大変な騒ぎになっちゃいましたね。
各方面では、京アニのこれまでの(特に去年のハルヒの)事から「今回もユーザを巻き込んだ形のネタでは?」
という意見もちらほら見られますが
それはむしろ「そうあってほしい」という
“受け手側の願望”に過ぎないのではとも思えます。
「降板はいやだ」と「何か祭りにしてェ!」という
両方の意味において。
考えてもみて下さい。
そもそも『京アニ』って、作品外の事で遊ぶ
そんな小賢しい“ネタ”的製作会社だったでしょうか?
あの「ハルヒ騒動」は、京アニがWeb2.0(笑)の手法
とやらを駆使して、意図的に上手く視聴者を利用して
盛り上げたモノだったでしょうか?
(ネットマーケティング関連の識者の方々は
どうもそんな風に受け止めているようにも見えますが)
京アニはただただ、「作品世界」というモノに
真摯に向き合い、それをいかに上手く“表現”してゆくか
という事しか考えていなかったはずです。
(当の製作者達もあの“ブーム”には戸惑っていた様子)
ある意味マーケティングやパフォーマンスとは無縁の
「不器用な職人バカ」ともいえる態度です。
その「バカの一念」の結果生まれた『作品の』インパクトと
クォリティが、視聴者を自然に「ブーム」に走らせた
(YouTube等の時代環境もありましたが)
のではなかったでしょうか。
京アニが「ダンスコンテストやろうぜ!」と
提唱・主催したわけではないのです。
あの凝った作りの(ネタっぽい)公式HPも
あくまで「ハルヒ」という“作品世界”を基にした“ネタ”であり
(これもHP製作担当の会社の方の自主提案だったそうですが)
同じ「メタ」手法でも“漫画家が自分を登場させる”ような
作品外の“ネタ”ではなかったはずです。
同じように「ネタ仕込み」に見えても
むしろ、「架空の現実化」という意味では
方向としては逆ですね。
今回の「監督降板」は、何ら作品世界の内容とは関係の無い事象、
しかも正式な企業の顔としてのHPでの告知です。
もしそんな場所で作品内容と関係ない話題づくりとしての
“パフォーマンス”をやって人気を、注目を得ようとしているなら
京アニも随分変わっちまったな、と思わざるを得ません……………
もう一つ、
「演出業」(作品内容)と
「監督業」(作品制作進行)は
また別の仕事でもあります。
前者が出来るからといって、後者が可能とは限りません。
優秀な兵士が常に優秀な指揮官であるとは
限らない、という訳です。
たとえ作品内容に問題が無くても、それを支える
製作体制の運用が満足に出来なかった場合もまた
「監督として、その域に達していない」
(演出家としては良くても)と判断されます。
例えば人間関係調整やスケジュール、
予算管理等の失敗ですね。
問題要因としては、一見派手で危険なパロディに
すぐ目を奪われがちですけどw
こういった「裏方」の仕事こそ監督の最も重要な役目と
言われています。
「内容の評価」はユーザの声を見てみないとわかりませんが
こういった「制作上の問題」は作業が進む上で
(放映前であっても)真っ先に会社内で
明確になる事でもありますし。
実際に放映された内容が意外と好評だった事
(だからこそ「何故?」と話題になってる)
を考えると、この「監督の域」とは作品内容ではなく
その「運用・指揮能力」に関する部分を
指しているような気がするのですが。
案外、山本氏が自分の力量の限界を感じて
自ら降板する事を提案したのかもしれませんね。
なんだか大変な騒ぎになっちゃいましたね。
各方面では、京アニのこれまでの(特に去年のハルヒの)事から「今回もユーザを巻き込んだ形のネタでは?」
という意見もちらほら見られますが
それはむしろ「そうあってほしい」という
“受け手側の願望”に過ぎないのではとも思えます。
「降板はいやだ」と「何か祭りにしてェ!」という
両方の意味において。
考えてもみて下さい。
そもそも『京アニ』って、作品外の事で遊ぶ
そんな小賢しい“ネタ”的製作会社だったでしょうか?
あの「ハルヒ騒動」は、京アニがWeb2.0(笑)の手法
とやらを駆使して、意図的に上手く視聴者を利用して
盛り上げたモノだったでしょうか?
(ネットマーケティング関連の識者の方々は
どうもそんな風に受け止めているようにも見えますが)
京アニはただただ、「作品世界」というモノに
真摯に向き合い、それをいかに上手く“表現”してゆくか
という事しか考えていなかったはずです。
(当の製作者達もあの“ブーム”には戸惑っていた様子)
ある意味マーケティングやパフォーマンスとは無縁の
「不器用な職人バカ」ともいえる態度です。
その「バカの一念」の結果生まれた『作品の』インパクトと
クォリティが、視聴者を自然に「ブーム」に走らせた
(YouTube等の時代環境もありましたが)
のではなかったでしょうか。
京アニが「ダンスコンテストやろうぜ!」と
提唱・主催したわけではないのです。
あの凝った作りの(ネタっぽい)公式HPも
あくまで「ハルヒ」という“作品世界”を基にした“ネタ”であり
(これもHP製作担当の会社の方の自主提案だったそうですが)
同じ「メタ」手法でも“漫画家が自分を登場させる”ような
作品外の“ネタ”ではなかったはずです。
同じように「ネタ仕込み」に見えても
むしろ、「架空の現実化」という意味では
方向としては逆ですね。
今回の「監督降板」は、何ら作品世界の内容とは関係の無い事象、
しかも正式な企業の顔としてのHPでの告知です。
もしそんな場所で作品内容と関係ない話題づくりとしての
“パフォーマンス”をやって人気を、注目を得ようとしているなら
京アニも随分変わっちまったな、と思わざるを得ません……………
もう一つ、
「演出業」(作品内容)と
「監督業」(作品制作進行)は
また別の仕事でもあります。
前者が出来るからといって、後者が可能とは限りません。
優秀な兵士が常に優秀な指揮官であるとは
限らない、という訳です。
たとえ作品内容に問題が無くても、それを支える
製作体制の運用が満足に出来なかった場合もまた
「監督として、その域に達していない」
(演出家としては良くても)と判断されます。
例えば人間関係調整やスケジュール、
予算管理等の失敗ですね。
問題要因としては、一見派手で危険なパロディに
すぐ目を奪われがちですけどw
こういった「裏方」の仕事こそ監督の最も重要な役目と
言われています。
「内容の評価」はユーザの声を見てみないとわかりませんが
こういった「制作上の問題」は作業が進む上で
(放映前であっても)真っ先に会社内で
明確になる事でもありますし。
実際に放映された内容が意外と好評だった事
(だからこそ「何故?」と話題になってる)
を考えると、この「監督の域」とは作品内容ではなく
その「運用・指揮能力」に関する部分を
指しているような気がするのですが。
案外、山本氏が自分の力量の限界を感じて
自ら降板する事を提案したのかもしれませんね。
今回の件、私は最初ネタだったらいいな。と考えていたのですが、ひふみーさんのコメントを見てハッとさせられました。
確にkanonまでのときの私の京アニの評価は、ただ真面目にやり、作品を愛していて…それが実力でも偶然であっても結果に繋がった。といった感じでした。
作品内で遊ぶことはあっても今回のような事をネタでやる会社であるとは思いたくないですね。
ネタだとしたら、少し残念です。
山本さんが監督としてそのその域に達していないとして、何の問題があるのか。
演出家としては最高であることは(少なくとも私の中では)変わらないはず。
私の思うことをダラダラと書きましたが、私はアニメ会社や社会のことは全然わからないただの学生です。
ぶっちゃけ普通にらき☆すた面白いし、来週以降の放送待つしかないんですよね。
まとまりのない文失礼しました。
確にkanonまでのときの私の京アニの評価は、ただ真面目にやり、作品を愛していて…それが実力でも偶然であっても結果に繋がった。といった感じでした。
作品内で遊ぶことはあっても今回のような事をネタでやる会社であるとは思いたくないですね。
ネタだとしたら、少し残念です。
山本さんが監督としてそのその域に達していないとして、何の問題があるのか。
演出家としては最高であることは(少なくとも私の中では)変わらないはず。
私の思うことをダラダラと書きましたが、私はアニメ会社や社会のことは全然わからないただの学生です。
ぶっちゃけ普通にらき☆すた面白いし、来週以降の放送待つしかないんですよね。
まとまりのない文失礼しました。
2007/05/01(火) 08:43:44 | URL | ZT #-[ 編集]
ひふみーさんのおっしゃったことで、ひとつ、思い出したことがあります。
京都アニメーションの社長の八田さんが常々、「声を入れるのは、必ず絵が仕上がってからだ」と言っておられることを。また、「これは原則中の原則だ」という内容のことまで言われていた記憶があります。
山本監督は、ひょっとしたら、その大原則を破る可能性があると判断された。つまり、製作の遅れを問題とされたのでは、と思いました。
私が言うのもなんですが、ネタだとすると、京都アニメーションという会社っぽくない行為だと正直、思っています。
京都アニメーションの社長の八田さんが常々、「声を入れるのは、必ず絵が仕上がってからだ」と言っておられることを。また、「これは原則中の原則だ」という内容のことまで言われていた記憶があります。
山本監督は、ひょっとしたら、その大原則を破る可能性があると判断された。つまり、製作の遅れを問題とされたのでは、と思いました。
私が言うのもなんですが、ネタだとすると、京都アニメーションという会社っぽくない行為だと正直、思っています。
そうですね。今回の事は「らきすた」という作品とは一切関係ないですね。
そんなところでパフォーマンスをうつような会社では無かったですね。
そんな事も忘れてしまうくらい、動揺していたようです。
あー、でもそうなるとネタでもイカンとなって、本気であって欲しくも無くて・・・。一体俺はどうすればorz
そんなところでパフォーマンスをうつような会社では無かったですね。
そんな事も忘れてしまうくらい、動揺していたようです。
あー、でもそうなるとネタでもイカンとなって、本気であって欲しくも無くて・・・。一体俺はどうすればorz
2007/05/02(水) 00:12:02 | URL | 東西南北 #7SMSw2C6[ 編集]
手抜きだと言わないで…(泣)。これまたもう何週も回った話題なので、手短に行かせて頂きます。
>ひふみーさん
アツいコメントをありがとうございます。そのアツさは多くの人の心を揺り動かしたようですよ。私の思いは、別途記事の方で語らせて頂きましたが、どちらの見解に立つにしても「作品とその制作者に対して真摯でありたい」という願いは共通でございます。それ(祭り)に乗るなんてとんでもない!という感じで。
>ZTさん
>ぶっちゃけ普通にらき☆すた面白いし、来週以降の放送待つしかないんですよね。
至言かと思います。作品としてどうであるか、その中で今後何が起こるか。視聴者として大事なのはそこに尽きますモンね。
ただ人を貶めて喜ぶ類の人、というのも世の中には残念ながら存在します。そんな人にとって、今回の事件はちょうど良い燃料になるのでしょう。でも、僕らにはそんなことは関係ないんですよね。今まで通り応援しながら、今まで通り作品を楽しみ、愛でていくまでです。
>丈・獅子丸さん
>社長の八田さんが常々、「声を入れるのは、必ず絵が仕上がってからだ」と言っておられることを。また、「これは原則中の原則だ」という内容のことまで言われていた記憶があります。
京都アニメーションのスケジューリングの凄さを象徴するお話ですよね。その原則どころか、どうにか見られるクオリティで作品を送り出すということさえ守れない会社が乱立する現在、とても貴重なことだと思います。
山本監督がその点でどうなのかは今の私には判断がつかないことですが、この先もその貴重なものを守りつつ、王道を行って頂きたいと思いますね。貧して鈍した結果が今のアニメ業界なのでしょうから、貧せず鈍せずを貫いて、「ああ、やっぱりああじゃなきゃいけないんだ」ということを世に知らしめて頂きたい!あれ、何だか熱く語っちゃいました(笑)。
>東西南北さん
>そんな事も忘れてしまうくらい、動揺していたようです。
それも愛なんだろう、と思いますよ。単に面白がってネタにして匿名のとこあたりで騒いでいるよりはよほどいいと思います。
>あー、でもそうなるとネタでもイカンとなって、本気であって欲しくも無くて・・・。一体俺はどうすればorz
それも愛なんだろう、と思いますよ。いやマヂで(笑)。愛することは、本来的に痛みを伴うものです。
>ひふみーさん
アツいコメントをありがとうございます。そのアツさは多くの人の心を揺り動かしたようですよ。私の思いは、別途記事の方で語らせて頂きましたが、どちらの見解に立つにしても「作品とその制作者に対して真摯でありたい」という願いは共通でございます。それ(祭り)に乗るなんてとんでもない!という感じで。
>ZTさん
>ぶっちゃけ普通にらき☆すた面白いし、来週以降の放送待つしかないんですよね。
至言かと思います。作品としてどうであるか、その中で今後何が起こるか。視聴者として大事なのはそこに尽きますモンね。
ただ人を貶めて喜ぶ類の人、というのも世の中には残念ながら存在します。そんな人にとって、今回の事件はちょうど良い燃料になるのでしょう。でも、僕らにはそんなことは関係ないんですよね。今まで通り応援しながら、今まで通り作品を楽しみ、愛でていくまでです。
>丈・獅子丸さん
>社長の八田さんが常々、「声を入れるのは、必ず絵が仕上がってからだ」と言っておられることを。また、「これは原則中の原則だ」という内容のことまで言われていた記憶があります。
京都アニメーションのスケジューリングの凄さを象徴するお話ですよね。その原則どころか、どうにか見られるクオリティで作品を送り出すということさえ守れない会社が乱立する現在、とても貴重なことだと思います。
山本監督がその点でどうなのかは今の私には判断がつかないことですが、この先もその貴重なものを守りつつ、王道を行って頂きたいと思いますね。貧して鈍した結果が今のアニメ業界なのでしょうから、貧せず鈍せずを貫いて、「ああ、やっぱりああじゃなきゃいけないんだ」ということを世に知らしめて頂きたい!あれ、何だか熱く語っちゃいました(笑)。
>東西南北さん
>そんな事も忘れてしまうくらい、動揺していたようです。
それも愛なんだろう、と思いますよ。単に面白がってネタにして匿名のとこあたりで騒いでいるよりはよほどいいと思います。
>あー、でもそうなるとネタでもイカンとなって、本気であって欲しくも無くて・・・。一体俺はどうすればorz
それも愛なんだろう、と思いますよ。いやマヂで(笑)。愛することは、本来的に痛みを伴うものです。
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さて、山本寛監督降板の報より、一夜明けて。何と言ってよいのやら。いろいろな捉え方があると思います。いろいろと考えてみました。しかし、千葉テレビ放送直後と思われるタイミングで発表するとは、いかがなものか。地方在住の者にとっては、これから見る第4話をまともに
2007/04/30(月) 17:47:19 | 丈・獅子丸の咆哮 (新館)


