Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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鑑賞者達への鎮魂曲
 当ブログの最近の記事「飽くなき向上心を見守るために」を引用して記事を起こし、TBを送って下さったアニ鳴館の加嶋さん。以前、BS-i版AIRにおける見解の違いなどで何度かやり取りをしたことがありますが、全く方向性の異なる嗜好ながらもお互いに尊重し合える議論のできる、貴重な関係を持たせて頂いております。本日はこちらからも、加嶋さんの記事を読ませて頂いてぼんやりと思った「よしなしごと」を徒然に書かせて頂こうかと思います。あ、先の記事で加嶋さんのことを指したかどうかについては、ここでちゃんとお答えしても良いのですが、別の方から「じゃあオレのこと?!」とか反応されると返答に困るケースも出てくると思いますので、そこは明確にはお答えしない、ということでご容赦下さい。いやいや、「あてつけ」なんて一言も書かれていない加嶋さんがご心配されるようなことではなかったんですよ?(^_^;
 加嶋さんの記事中には、色々と示唆に富む記述が数多くございます。その全てを噛みしめたい気持ちもあるんですが、残念ながら当方に余裕がないので、そこは涙を飲んで断念します。得にラスト近くの以下の言及について、大いに膝を叩いて頷きましたので、そこを中心に語らせて頂くことにします。

私はどちらかといえばライブシーン否定派ですが、少なくともスタッフが力を入れているのは分かるし、これだけ語ることができる。
肯定派の方から反論があれば、その内容によって自分の考えが変わるかも知れませんし、あらためて何かコメントを返すかも知れない。
しかし、「当てつけ」の一言で済ませるのは、制作スタッフの意思のみならず、こうした議論までも問答無用で粉砕することになりかねません。
それは、アニメを見ることに価値を見出し、会話の中でもそれを共有することに主眼を置くアニメファンとして自殺行為ではないかと。


 この部分で、加嶋さんの「作品に向き合おうとする真摯な態度」がよく読み取れると思うのです。一つには「ご自分の意見と反対の意見が存在すること」が、一般的な大前提として肯定的に捉えられていること。二つには自分の否定的な意見とは別に、制作者の意図するところを理解しようと努め、その差異について語る言葉を惜しまぬ姿勢を持たれていること。これらの部分に、私はとても共感いたしました。視聴者の姿勢に優劣を付けるつもりはないのですが、どうせ感想記事を起こすのであれば、そういう態度で自分は臨みたいなと、そう思えるのですよ。

 全くジャンルの異なるところの話で恐縮なのですが、平成ライダーシリーズを初めとする特撮畑で活躍されている白倉プロデューサのブログ「A Study around Super Heroes」で、少し前に「淀川さんの思い出」という記事が上がった時にも、同じような感銘を受けました。例えば、以下の文。

映画を見るからには、カット割りを頭の中で再現できるほど真剣に見なければ意味がない! というほどの覚悟。その上で、各カットの意図・各シーンの意味を読み取れなければ、観客として怠惰である! という叱咤。
そうは直接言っていないのだが、それほどの気迫が伝わってくる淀川さんという存在がそこにいた。


 うまく言葉で言い表せないのですが、カナヅチでガツン!とやられたような衝撃を覚えたんですよ。そうそう、それそれ、という同意の気持ちと、自分の至らなさをスパッと見通されたような羞恥心とが、入り交じったような感覚。もちろん、全ての観客にこのような態度を徹底的に強いるのはやりすぎでしょう。でも、映画なら映画が「人並みよりは好き」と公言するような、少しディープなファンを自認するならば、自分の中にも相応の深みを培っていくべきなのではないか?そういう問いかけなんではないのかな、と思うわけですよ。

 サラッと作品を鑑賞し、サラッとした印象だけを語って終わる。そんな、一般人としての鑑賞の在り方を全否定する気はありません。そういう人たちはもちろんいていいと思います。でも、「そういう鑑賞をする人だけ」しか世の中にいなくなったとしたら、「サラッと見」に好印象を受けるような作品作りのみが目指されることになるでしょう。そこに、色々な深みを残す余地は、一体どれだけ残るでしょうか。

 アニメの話に戻りますが「とにかく作画が良かった」「いやいや、この作品は作画が良いだけ」と語るのは簡単です。でも、せっかく語るのならもう一歩踏み込みましょうよ。「制作者がこのシーンの作画にリキを入れた理由が何かあるのだろうか」とか考えてみると、ひょっとしたら答えが見つかるかもしれないじゃない?そうしたら、サラッと見ていただけでは到底考えられなかったような感動に辿り着けるかもしれないわけですよ。それをしないのは、先の白倉プロデューサの記事を引用すれば「観客として怠惰」なわけですが、そのことで何よりも自分が損をしていると思うのですな。

 正直な話、そうやって考えることが無駄に思えることもあります。でも、好きなものが対象なんだから、やっぱり多少の無理はしてでもそこに愛を注ぎたい、という気持ちの方が強いかな、僕は。加嶋さんも、記事をいくつか読ませて頂いた感じでは私とは全く異なる好みの持ち主だとは感じますが、「考え、記すことを惜しまない」という部分は共通なので、その意味では同じ鑑賞者なのだなぁと思っちゃうわけですわ。我ら鑑賞者の行く手が険しい道であろうとも、その道に自らの屍を曝すことになろうとも、歩みを停めずに逝きましょう。鎮魂曲が必要なら、自分たちで奏でながら、ね。れ~ぇ~くいえ~む、え~え~え~え~て~ぇ~るな~あ~む。



 なお、もう何週間も溜まってしまったレビューについて、番組の録画を見ることすらできてないという私の「怠惰」については、本論における「怠惰」とは直接関わらない部分とご理解頂き、どうか華麗にスルーして下さいませ。…お願いですよぅ、私だって辛いんですよぅ。orz
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
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コメント
この記事へのコメント
お忙しい所を…
いろいろコメントまで返してくださって恐縮です。

見たアニメについて自分の感想を書き留めるようになってから、イマイチと思った作品に対して、
・ 自分は何が気に入らなかったのか
・ どこがイマイチだと思ったのか
・ 作品がどうあれば自分は気に入ったのか
・ 私という視聴者がイマイチと感じる描写を敢えてスタッフが選択したとすれば、それは何故か
この辺を考える癖はついたように感じます。
「バトルアクションシーンが苦手」とか、自分の嗜好に100%原因がある場合もありますが……。

「ダメ」と斬って捨てるのは何より簡単なので、『いざとなれば切り捨てればいいんだ』という開き直りのもと、(どうせなら)自分がダメと思った理由が何なのか、納得のいくまで考えている。
それが結果的には奏功している感じでしょうか。
その時に使っている思考回路は、おそらく「名作と感じたものが何故、名作なのか」の嗜好回路と近い位置にあると思っています。
2006/07/30(日) 21:31:20 | URL | 加嶋@アニ鳴館 #K7NiHVcI[ 編集]
(2)
続き。
これは、名作だと感じた時も同様ですね。
「良かった」という意思表示は極端な話、拍手だけすれば良いので。
そういう最終手段があれば、どうせなら文章にして褒めたい、というのが私の性格としてあります。

この辺は、記事の本旨からは逸れてしまいますが・・・。
同じ作品を見て、3年前と今では同じ「良かった」でも感じ方が違うかも知れない。
だったら、それを残しておきたい、と。
文章にできない感動を、興奮が収まった状態の時にでも明解・的確な文章にできた時の気持ちよさは、一度体験すると以降は「文章にできない」で留まるのが勿体なくなります。(私の性格上、興奮しているうちにその気持ちを文章にするのも必要なワケですが^^;)
個人的な話ですが、『蟲師』ではそうした「文章にできない」状態のままストップしてしまったエピソードが数多くあります。
これは是非とも、あと何年かして、もう少し経験を積んでから、あらためて視聴・感想に取り組もうというのを内に秘めているところです。
2006/07/30(日) 21:40:06 | URL | 加嶋@アニ鳴館 #K7NiHVcI[ 編集]
観上戸?
字が合ってるかどうか自信はありませんが、昔の日本にはミジョウゴと呼ばれる人たちが居たそうです。
歌舞伎等、素人が一目見ただけではどういう意味があるのかわからない、というものが日本文化にはありますよね?
そういうものを、一目見ただけで役者等の心情、伝えたい物等を読み取れる、観る側の達人がミジョウゴと呼ばれる人たちだったそうです。
そこまでわかり辛い作品は、昨今には無いのですが、てりぃさんや加嶋さん達が目指しているのはそういうものなんだろうなぁ、と思いました。
2006/07/30(日) 22:45:32 | URL | 結城 レイ #-[ 編集]
Re: 観上戸
しつこくも都合3回目のコメントに^^;
あくまでも私の考えですが。
私はむしろ、「制作側の思惑を何も考えずに感動できる作品がベスト」と捉えています。
「本当に泣いたり笑ったりできる話であれば、感想のことはとりあえず後回しで感動できるはず」というのは私の感想書きの根底にあります。
その意味では、見終わった後で思い返す段階で「役者等の心情、伝えたい物等を読み取れる」のが、私の理想とするレベルです。

ただ現実問題、週に15本前後のアニメを見ていて、全部が全部、最高潮に感動させられると身が保たないワケで^^;
2006/07/30(日) 23:02:54 | URL | 加嶋@アニ鳴館 #K7NiHVcI[ 編集]
思うままに
>加嶋さん

わざわざコメント頂き、こちらこそ恐縮です。今回のコメントの内容にも大変感銘を受けました。

「同じ作品を見て、3年前と今では」云々のくだりは、ちょうど2つ前に書いたジャイアントロボの感想と大きくだぶる点がありますし、「文章にできない感動を、明解・的確な文章にできた時の気持ちよさ」なんていう部分も、首をぶんぶん振って頷いております。

>結城レイさん&加嶋さん

で、「制作側の思惑」についてのくだりですが、私としても「一生懸命考えないと感動が伝わらない作品」はあまりよしとしていません。自分的に高く評価する作品の傾向は、私が最初に見た時に「全部は理解できないけれども大きく心を揺さぶられるもの」が確かに感じ取れるものであり、そして「その源泉を辿ろうと再度、三度と鑑賞を重ねるごとに掘り当てられるお宝がザクザク出てくる」という類のものかなぁ、という感じです。その意味では、結城レイさんの仰った「観上戸」的な側面、一回目の鑑賞で確かに感動できる部分を感性で知覚できる人間ではありたいと思います。それは、決して「制作者側の思惑」を考えた結果として出てくるものではない、という点で、加嶋さんのお考えとも一致する気がするのですね。

週に15本のアニメの鑑賞は、ちょっと私には出来そうもありません。(^^; ただでさえ遅筆の傾向がありますのに、日に2本のレビューなんて絶対無理ですわ。
2006/07/31(月) 00:46:04 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
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