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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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「人は変われるんだ」は本当なのか。
 「人は変われるんだ」というテーマを描く作品はそれなりに見かけますし、「人は変われるんだ」という格言めいた言い回しもそれなりに耳にします。

 決してそれらの作品や言い回しを口にする人への攻撃ではないのですが、個人的に、「それって本当だろうか?」という疑問があったりします。

 いや、もう少しかみ砕いて言うとですね…前提条件が極めて曖昧なため、その言葉が正しいとも誤っているとも判断できかねるんじゃないの、という疑問があるのですよ。

 人が変わることがある、それは私も正しいと思います。では、どのような時に変わるのか、その点が大抵の場合不明瞭にしか扱われてないと思います。例えば、「努力すれば」と頭に付けた途端、いきなりうさん臭くなるのですよ、これ。「諦めなければ夢は叶う」と同じレベルの言葉になっちゃうでしょ。「諦めたら夢は叶わない」は正しいかも知れませんが、「諦めなければ(必ず)夢は叶う」というのは正しくないのですよね。努力したって、変わらない時は変わらないんですよ。
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「原因の人」をみんなで叩くのはやめようよ
 小学校で、こんな経験をした記憶はありませんか?

 あるクラスメート~仮にAさんとしましょう~がちょっとへまをした結果、例えばみんなで育てていた植物か何かをダメにしてしまった。みんなは寄ってたかって、Aさんを責めます。何でこんなへまをしたんだ、どうしてくれるんだ、せっかく大切に育てていたのに、成長を何よりも楽しみにしていたのに…。でも、いくらAさんを責めても、ダメになった植物は帰ってきません。一層高ぶる非難の声。そのうち、とうとうAさんは泣き出してしまいました。それでも憤懣が収まらず、泣けばいいと思ってるのか、泣いてないで何とかしてみろと無茶を言う子どもたち…。

 Aさんがどんなポカをやらかしたにせよ、そしてそれがどれだけ甚大な被害を出したにせよ、Aさんを責め立ててせめて留飲を下げるなんてやり方が何も生まないのは明白でしょう。やるべきことは、Aさんはどうしてそんなポカをしてしまったのかを振り返り、この先に同じポカを誰もしないような対策をみんなで考えて、「失敗を糧にすること」のはずです。取り返しのつかない不幸が起こった時、せめてその不幸が未来に向けてのプラスの種になるように頑張るのは、不幸をもたらした直接の原因の人ではない。その不幸にたまたま立ち会った周囲の皆のはずなのです。

 さあ、今なら大津市の交通事故の件で起きている状況が、このAさんの例え話そのものだ。自動車の運転手を叩きに走っている人たちは、一度その拳を下ろして、自分が何をすべきかをもう一度考えた方がいい。「留飲を下げる」なんてさもしい快楽に囚われるな。
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成長のための「苦労」は本当に必要か
 思いつくままに。

 先日、3月に参加した演奏会の打ち上げで、若い後輩から人生相談されたんですけどね。そこでその子が言ってたキーワードで、「若い頃の苦労は買ってでもしろって言いますし」ってのがあって、私はそれを即座に否定したんです。

 「苦労すること」が、「将来の成功を保証する」という考え方は、根本的に間違っていると思います。「苦労した人が成功したケースがある」という証拠が仮にあったとしても、それは「苦労すれば成功すること」を意味しません。生存バイアス~すなわち、苦労の上で失敗した人は何も語らず、苦労の上で成功した人だけが苦労の重要性を声高に説いているだけ~の可能性さえあります。

 乗り越えることで、それが自分の糧になる類の苦労というものが存在することは、私も真であると考えています。しかし、苦労なら何でもすりゃあいいってもんじゃあないでしょう。例えば、ですよ?極端な例ですが…目の前の地面に穴を掘れと言われ、掘ったとします。掘り終えたら、今度は埋めろと言われ、一生懸命埋めます。埋め終わったら、また穴を掘れと言われます。…これ、拷問の一種なわけですが、この苦労が自分の成長の足しになるなんて思えますか?そんな苦労、しないで済むに越したことはないでしょうが。成長どころか、下手すると自分が壊れますよ。

 私は、やみくもな苦労なんて絶対に肯定しません。あえて買わなくたって、しなきゃならん苦労なんて自分の行く先に五万とあるんだもん。直面するそれらの中から、意義のあるもの、どうしてもしなければならないものを選りすぐって、自分が越えられる範囲で越えてくだけで、十分すぎると思うんですがどうですか。労せず何かを勝ち取ることを嫌う人も多いですが、労せずに勝ち取れるんなら結構なことじゃないですか。「しなくていい苦労」は、まっこと、「しなくていい」のです。
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自分が自分でいるためにもコストがかかる
中学生辺りの「なにかとめんどくさい」時期を通り過ぎて、私も相当前に「ありのままの自分らしくあればそれでいい」という結論を出したわけですが。

もうあれから30年以上経つというのに、未だに悩みは尽きません。

まず、「自分らしくある、って、自分の場合は一体何が自分らしいんだ」問題。えー?!とか言われそうですけどね、あなたみたいな強烈なキャラクターの人が何を今更、みたいな。いや、違うんですよ。そのように見えてる私も、確かに私らしい私自身ですけど、それは意図してそのように振舞ってる自分でもあるんですよ。それ以外にも自分の要素は沢山あって、その整理は別途必要なんですよ。ウジウジしてる自分も怒り心頭の自分もデレデレの自分もグダグダな自分もちょっとクレーバーな自分も、全て私なんですよ。

あと、ですね。それらの自分自身に自信が無くなる問題。どんな自分であっても欠点はあれこれあります。それが気になって気になってどうしようもなくなる時、というのが時折やってくるんですわ。考えたってしょうがないことなんだけどね。建設的に考えて、欠点があるのはしょうがない、それをどうカバーしていくかが大事って方向にキチンとシフトできればいいのだけど、それができない時ってのは割とあります。

これらを適切に処理して、「自分らしい自分というものを健康的に肯定できる状態」を維持するには、かなりのコストがかかります。少なくとも私の場合は、結構なコストをかけてるような自覚があります。そのコストをかけられないようなレベルまで疲弊してくると、問題が表面化してくるんでしょうねぇ。いや、今がまさしくそういう状態なんですけど。

みんな、その辺どうしてるんですかね?人により色々でしょうが。

あ、あとですね。これって個人に限らず、あらゆる規模の集団にも当てはまるもの、って思ってます。サークルでも会社でもそう。でっかいとこだと、「国」とかね。
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「必要なものを積み上げる」ということ。
 その昔、「イヤボーンの法則」というのがサルでも描けるまんが教室に出て来ましたが、あの手に限らず「思いが臨界を超えた瞬間、主人公の秘められた才能が開花してー」な展開は、エンターテイメントの中でよく見られる表現の一つであります。

 ですが、私ぁアレが心底嫌いでして。これで難事を解決しようとするストーリーを、私は子供だましじゃねーのと思って忌避することが多いです(もちろん例外も大いにアリだけど)。

 個人的な意見ではありますが。ことの成否や良し悪しを決定づける要素に順位付けをするならば、1番は「合理的な方法に基づいた技術の積み上げ」、2番は「自身ではどうにもならない運」、3番でようやく「熱意・思い」かなと思っています。ジャンルによっては1番と2番が逆転するかもしれませんが、3番が2番より上に来ることは、私の経験上もまずないと言っていいんじゃないかと思いますね。

 まあ、だからアレですよ。積み上げがしっかりなされていればラストの大舞台での大逆転はあるかもしれませんが、積み上げがなーんも無かったら順当にコケて終わりなわけです。どんなに思いが強かろうと、そんなものはへのツッパリにもならんのです。

 あくまで「例えば」のハナシですが…「日本スゴイ」とか言ってる場合じゃねーのです。合理的な方法に基づいた技術の積み上げは、とにかく続けなければどんどん他に追い越されるのですよ。コストもかかるし手間も人手も時間もかかる、だけど積み上げることを止めたらどんどんダメになっていくのは当たり前なわけです。他にも例えば、戦時中は「進め一億火の玉だ」みたいなスローガンがあったと言いますが、まあ、端的に言ってバカじゃねーのって思いますね。戦争がイイとかイクナイとか言う以前の問題として、そんなんじゃ絶対に勝てっこねーだろーがよ。やる気あんのかってハナシです。

 何かにつけ、ちゃんと積み上げようよ。なぁ。
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