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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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てりぃさんはきもちわるい。
 いやいやいや。違うんです違うんです違うっつってんだろ!!

 「私」を、誰かが外から観察したところ、その感想が「気持ち悪い」となるのではなくて。

 「私」自身が、「気持ち悪い」と感じる状態にいるのです。

 何で気持ち悪く感じているのかと言うとですねぇ…まあ、政治ですかねぇ…最近の官僚も大概気持ち悪いですが、政治も一層良くないですねぇ…何つーか、政治家の本分て、官僚の本分て何だと思ってんだよ、とか、素で思いますもんねぇ…もうね、日々奈落に向かってすごい勢いで落下していく感じがしますわ、最近。大丈夫なんかな、こんなんで何もしないでいて。何かするっつっても、難しいとこも正直あるんですが、かと言ってねぇ。このまま何もしないでいていいわけがないとも思うんですがねぇ…。

 「貧すれば鈍する」を国レベルで何年もかけて進行させるとこうなるのな、という実例を目の当たりにしている気がするんですが…きもちわるいわ、これは。ホントに先進国なのか、ここ。マヂで。あーきもちわるい。
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対価。
 「等価交換」というキーワードは、「鋼の錬金術師」という作品の中で、形や視点を変えて幾度も語られる主題の一つになっているわけですが。

 何を以て等価とするかはさておいて、現実世界にもそれに似た、「対価」というものがあります。人の営みは、対価との交換の営みです。食物を消化することによって生命活動を行う。業務を行うことによって付加価値を生む。労務を提供することで金銭を得る。金銭を支払うことで物品を得る。その、延々と続く、繰り返しの中に、僕たちは生きている。

 金銭を支払わない、対価をケチる、労働を買い叩く、それらの行為が「連綿と続く人間の営みの繰り返しである社会というもの」にとって、マイナスでしかないのは自明の理です。そんなアホなことは、もうやめさせるべきだと思います。

 それはそれとして。

 歌うことで喜びを得る。作品を世に出すことで何かを問う。感情を書き記すことで共感を呼ぶ。共に語ることで大きな流れを動かす。そういった、文化的な営みというものにも、対価との交換が途切れなく続いているように思います。何となく、その輪の中からぽろっとこぼれ落ちたような気がしてしまうのは、私の体調があまり良くないせいなんでしょうかね。

 対価無しに幸せが得られないものなのだとして。What the price we're gonna pay?
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流言飛語に振り回されるな
 地震雲がーとか、何時間後までの間に地震がーとか、相も変わらず似たような話がゴロゴロありますが。


 全部、何の根拠も無いデマだかんな。


 データを積み上げてもう何十年かけて研究しても、未だに「数秒前に地震の発生をキャッチして緊急地震速報を出す」のがやっとなんだぞ?それが、自衛隊の人の話だとかそんなんで精度が数時間~数日レベルの地震予知ができるとか、正気の沙汰じゃねぇわ。つーか、科学なめんな!勝利の法則は決まった!(←関係ない)

 陰謀論とかが好きな人は、好きな人同士で絶対にありえない人工地震の話とか好きなだけ盛り上げればいいけど、一般人を巻き込むなよ。被災者はただでさえ疲弊してんだ、余計なストレス増やすんじゃねぇ。

 まあ、「数時間後に地震がー」はデマですが、それとはまったく別に、「いつ何が起きてもいいように備えておく」のは非常に大事です。大きな余震が来るかもしれませんし、来ないかもしれません。来るか来ないかはわからないけど、あり得るリスクには備えるんです。そこが、危機管理の勘所よ?「備えよ常に」ですよ、ええ。
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自分で付加価値を加える
 例えば、ロールプレイングゲーム。

 何時間もプレイして、困難を乗り越えて、レアアイテムをコンプしたり、キャラクターを極限まで強くしたり。その過程で、そのゲームと自分との間で付加価値は高まっていきます。お金では買えない何か。

 例えば、音楽。

 何周も聞きこんで、細部に耳を凝らし、肌がざわつくような息遣い、弦のきしみ、とめどなく溢れるグルーヴ、そうしたものを自分の体にしみ込ませ、音楽そのものに染まって。その過程で、音楽と自分との間で付加価値は高まっていきます。お金では買えない何か。

 例えば、アニメーション作品。

 繰り返し見て、感じ入った部分について掘り下げて、心動かされた理由を探求し、ざわざわするような表現の意味をかみしめ、色も、音も、心情も、空気も、その全てを自分の思いの中に焼き付けて。その過程で、作品と自分との間で付加価値は高まっていきます。お金では買えない何か。

 その、得難く愛おしい営みを、時に人は「愛」と呼びます。愛あるところでのみ、高まっていく付加価値。金勘定だけしている御仁には、決してわかりますまい。僕らは、今日も、愛という名の付加価値を、積み上げ続けるのです。
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過干渉がすぎるのは何でなのか
 過干渉。

 ご存知ですかね、この言葉。

 「過保護」が保護する対象の人物を甘やかしすぎて本人が自立する力を損なうものなのに対して、「過干渉」は対象の人物のためと称しつつ実のところは相手を支配下に置き続けるために自由を奪う行為であります。どっちもアレな行為に違いないですが、私個人が思うところでは、過干渉の方がよりダークかな。

 最近、ツイッターとかで話題になるような、「けしからん!」系の意見の多くが、私には過干渉にしか思えません。

 例えば、「ママ閉店」(=今日は家事育児がキツくてグロッキーなので残りの時間はその軛から解放されよう、って感じの意味でしょう)のつぶやきに怒ってる奴、何なの?おめーがそのママの代わりやってやれるんならいざ知らず、できねぇんだから干渉すんなよ!

 人を支配することで憂さ晴らしするような人には、一切与したくありません。ホントに。けしからんのはお前だよ。
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