Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
   来訪者数: since 2004/12/2...    
ヌーディストに美術館を開放という記事を見て
と言いつつ、目に止まったのでちょっとだけ。

パリのお話だそうですが、時間を決めてヌーディストに美術館を開放した、という話を読みまして。日本じゃほとんど理解されてないヌーディズムというものを、ウィキペディア上でざっとだけさらいました。ナチュリズムとも呼ばれるがナチュラリズムとは異なる、とか読んで、いやあ、ちゃんと理解しようとしないと容易に間違えるな、これは、と思いました。私、割と「知ったか」したがる傾向がありますので、気を付けないとアレですわ。

この件が気になったのは、「多様な価値観の存在を認める土壌が、きちんと形成されていっている社会」というものが気になったからです。

日本では、どうしてもマイノリティが肩身の狭い思いをしているのを目にする機会が多く、下手にオモテに出て来ようとするとこぞって叩かれるのが目に付きます。気に入らないものは潰してしまえ系の意見が跋扈しがちなためでしょうか。そのことがもたらす最悪の問題は、以前から存在する害悪を縮小しようという意見にも、その害悪が存在することで被害を被らない&むしろ好ましいと感じるマジョリティが潰しにかかるという醜悪な風土です。善悪そのものの判断ではなく、マイノリティかマジョリティかで潰されるかどうかが決まるという、クソみたいな世界です。何だこれ。

問題がないわけではないのでしょうが、「それがキライな人はキライのままでいいけど、それが好きな人も社会から排斥されない」ということを実現していけるパスがきちんと通っていたり、更に「(セクハラなどの基本的な人権の侵害に対しては)悪いのは加害者、どう理由をこねようと悪いことは悪い」というコンセンサスが敷かれている社会は、今自分がいる足元の状況を見ると、やはり眩しく感じますね。こういうことを言うと「じゃあ海外に行けよ」とか極論を言う人もいるんですが、バカじゃないかと思いますね。どう考えたって前時代的な害悪がまだ蔓延ってる現状を少しでも改善したい、自分が好きな自分の国をキライにならないで済むようにしたいと考えるような人を、外に追い出すようなマネしてどうすんの、と。
[ヌーディストに美術館を開放という記事を見て]の続きを読む
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
カジュアリー・イリーガル
 随分前に記事として書いたような気になっていたけど、どうやら無いようなので、改めて。ちょうど、最近話題になっていることでもあるので。

 著作権保護というものについて語りだすとそれだけで長文確定なので、必要なところのみ切り出していきますが…コンテンツから当然に利益を得られる人のところに金銭が行かず、そのコンテンツに何ら関わりのない人が金銭を得てしまうような枠組みは、多くの場合は問題視されます。最近はとんと話題に上らなくなりましたが、ゲーム業界ではちょっと前まで「マジコン」とが大問題になっていましたし、今は漫画村ですかね。

 まあ、この辺は間違いなく「やってる奴ら」が一番悪いわけで、そのことにはほとんど異論は出ないでしょう。この場合の「悪い」は、法的にギルティかどうかという厳密なものでなくて、上記の「コンテンツに何ら関わりの無い人が金銭を得てしまう」という行為の当事者である、という意味です。法体系の想定外で裁けないケースも多かったりするのですが、彼らはそれをわかっていて労せず低リスクで甘い汁を吸おうとしているから問題になるわけで。

 で、それを是正しようとした場合、現実的に何ができるかが議論され、難しいことも多いけど何とかしようと各方面で動きが出てくるわけですが(妙手も悪手も混在してる現状は脇に置いておきます)、その過程でもほぼ何も咎められることなく、しかし間違いなくその「良くない枠組みの形成・維持」に多大な貢献をしている人たちがいるんですよ。それは、「その良くない枠組みを利用する、大勢の人たち」なんですが…もうね、頭がおかしいんじゃないのかと思っちゃうくらい、その層の人たちって全く悪びれないよね。何が悪いの?って天真爛漫に言い放つような人が、決して珍しくない。「悪いとはわかってるけど、やめられなくて…」なんてコメント、ついぞ見聞きしたことが無いんですよ。どういうことなんだそれは。
[カジュアリー・イリーガル]の続きを読む
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
マネジメントとコントロール
 んー。大したことは書けないけど、一応「斬り」記事で。

 「マネジメント」ってのは、何か事を成すにあたって、多くの場合に必要とされるものであって、なかなか上手に行えないものでもあります。「それはマネジメントの問題」と結論付けられるようなトラブルは古今東西枚挙に暇がありませんが、それでいてマネジメントの問題が無くなる気配は一向に無く、むしろいつも変わらずに遍在している問題とすら思えます。その一部分について、この記事では語ってみたいと。

 的確なマネジメントがなされると、色々なコントロールが利くようになります。メンバーの行動のコントロール、コストのコントロール、スケジュールのコントロール、意思形成のコントロール、リスクのコントロール、結果のコントロール、エトセトラ、エトセトラ…。これらを総合的に俯瞰することで見えてくるのが、「マネジメントとは状況をコントロールするための手段である」ってことだと、私は思ってるのですね。担当するプロジェクトを、一定の状況に導いていく必要がある時に、その目標である「一定の状況」という漠然としたエリアに、あらゆる要素を仕向けていく。そのために、マネジメントを的確に行わないといけないわけです。

 逆に発想すると、「導いていくべき一定の状況」を意識しなければ、的確なマネジメントがどういうものであるかという推測は全く機能しませんし、必要ともされません。「目指すべき一定の状況」を意識できているか否かは、優秀なマネージャーであるための必要条件、という考え方もできるわけです。状況をコントロールする手法の手数や巧拙は、二の次です。まずはその必要が認識されていなければ、如何なる行動も動機づけできません。

 だからでしょうか、私は人を見る時に「肩書」はあまり見ず、そのような意識がその人の中に在るか無いかを、真っ先に見ている気がします。どんなに立派な肩書を持っていても、「導くべき一定の状況」を明確に意識していない人は、ほぼ間違いなくボンクラです。あえて言おう、ボンクラであると。そういう人はね、逃げ回るんですよ、ほぼ100%の確率で。毒にしかならない、なるべく実務的なパーツを持たせたくない、そういう人間です。次にひどいのが、「導くべき一定の状況」の認識が、その世界の平均的な方向から大きく逸脱している人で、大抵その手の人はコントロール能力もまた壊滅的だったりするのですが、まあ、それは別な話なので置いておきましょう。

 ちなみに、「優秀な合唱の指導者」ってのも、このロジックで大体判別できます。うふふ。(←こわっ)
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
セクハラ考・2
 「2」というからには「1」もありますが…まあ、大昔の記事ですし、連続ものというわけじゃないので。

 さて。

 「一体どこまでがセクハラなんだ」という物言いがありますが。

 まあこいつは、「ふざけんじゃないよ!」で一蹴して構わんような、馬鹿げた物言いだと思ってます。

 「ハラスメント」というのは、「嫌がらせ」なんですよね。で、嫌がるかどうかは、やってる方が決めるわけじゃないのです。受ける側が決めるのです。要すれば、相手が嫌がったら、それは嫌がらせになるのです。

 そうすると、「同じことでもイケメンがやったらそれは嫌がらせにならないんじゃないのか、恣意的に決めてるんじゃないのか」とか言うおバカがおりますが。

 それで何の問題があるんだ。バカじゃねーの。

 同じことをされても、相手が誰であるかによって嫌がるか嫌がらないか、違って当たり前だろう!

 実の父親が自分の小さい娘を抱っこしても嫌がられんだろう?知らんおじさんが同じようにその娘を抱っこしたら嫌がられるだろう?お互いに愛し合っている夫が妻にキスしてもいいが、その奥さんに知らん男がキスしたら大問題だろう?相手との関係性で意味合いが変わることなんて、自明の理じゃねーか!「イケメンを許すなら同じことをやったオレも許せ」とか、バカじゃねーの?

 「どこまでがセクハラか基準を示せないならセクハラとか言うな」ではなくてだな。

 「人が嫌がることをしないように、しっかり配慮して生きよう」ってことじゃねーのか。なんでそういう配慮無しに、己の欲望が最優先になるんだ。バカじゃねーの。ホントに。何度でも言ってやる。「バカじゃねーの?」

 そういう、「生き様自体がセクハラ」みたいなヤツだから、何をやってもセクハラだと言われるんだ。多少はわかれよ。ホントに。
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
スキーム(枠組み)
 この言葉、かつての上司が好んで使っておりました。スキーム、枠組み。まあ、意味はそんなに難しくないんです。

 ただ、「枠組みを意識して仕事ができているか」ということになりますと、これができている人は、存外少ない。大概は目の前の命題の良し悪しだけで判断しちゃうんですな。良くないです。大変、良くない。

 枠組み無く判断してよい、ということになりますと、論をこねれば大抵のことはオッケーになってしまいます。言うなれば、無法地帯です。道理もへったくれもあったものではありません。そんなことでは、ガバナンスも何も無くなってしまいます。

 是か、非か。回答自体が単純な命題が持ち込まれる時ほど、私はスキームを意識します。明文化されているにせよいないにせよ、今ここにあるべき枠組みは何だ、それはどこまで妥当性があり、具体性があり、客観性と説得力があるのか。その枠組みの範疇では、これは是なのか非なのか。

 まあ、こんなことやってるから、怖がられているんでしょうがね。むしろ、相手や組織を守るために必要な、とても重要な段階や手順を、相手側に変わって踏んであげてるだけなんですが。

 スキームなくして、如何なる判断もありません。そのことが、なかなか伝わらないのがもどかしいですが…。まあ、これが自分に課された使命なのだ、とでも、意識高く思っておきましょうかね。そのことを叩き込んでくれたかつての上司に、人知れず感謝しつつ。
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。