Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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なああああああにが「プレミアム」なんだか。
 明けて本日は、音頭の取り方が根本的に間違っている気がしてならない、経産省肝入りの景気浮揚策?「プレミアムフライデー」だそうですが。

 まー、正直なところ、こんなもんで消費喚起が実際にできるなら誰も苦労しないってんですよ。そもそも遊ぶ金も時間の余裕も無いんじゃあという下々の血の叫びが、本当に聞こえてないんだとしか思いませんもん。

 バブル時代がいい時代だったとは必ずしも思いませんが、お金の回りが良くなればああやって、誰が言いださなくてもみんな勝手に消費に走るわけですよ。そりゃあ、お金を使うって行為には一定の快楽が伴いますから、財布のひもを緩めても大丈夫と思える分だけ、誰だって消費したいわけです。貯める行為が三度の飯より好きで、それを使うなんてとんでもない!という変態さんも中にはいますけれど、私が見聞きする範囲ではそちらの方が少数派で、圧倒的大多数は、使えるなら使いたい派なんじゃないですかね。そんなに消費できる余裕があるならどんなにいいか、という恨み節が、あちこちから聞こえてきそうなんですが、その辺は天下の経産省様はいかがお考えなのでしょうかしら?

 あとな。「プレミアム」って、何の意味で使ってるんですかね。辞書引いても、「品質が良くて高価な、高級な」とか、「割り増し付きの」とかいう意味しか出てこんのだけど。高級アイスで「プレミアムバニラ」ってのは、正しいわけですよ。品質が良くて高価なバニラなんだから。それが、「プレミアムフライデー」???品質が良くて高価な金曜日???わけがわかりません。これ、ちゃんと調べてから決めたのか、経産省さんよぉ。

 いっそ形容詞をあきらめて、名詞だったら「奨励金」「割増金」なんてのもあるな。だったら、この金で遊べ!って奨励金とか出してくれるんだったら、サル皆伏して喜びますよ、経産省さん?
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ガリ勉って誰のことよ?!
 天才について他の人と話していて、ふと、こんなCMを思い出しました。私が子供のころに放映されていた、ジャポニカ学習帳のCMなんですが。

凡才君もジャポニカだ~
天才君もジャポニカだ~
ガリ勉だけが能じゃない~
たまにゃ遊ぼうジャポニカを~
忘れることもいいものさ~♪


 うん、多分これで合ってると思うんですが。

 この3行目で歌われてる「ガリ勉」って、誰のことなんですかね。

 「天才君」の事?でも、それっておかしいですよ。天才はガリ勉するから成績がいいわけではなく、少しの努力でもいい成績が取れるからこそ天才なのではないですか。じゃあ、凡才君がガリ勉?…うーん。そういう絵面だった気がしないんですよ。むしろ、やっぱし天才君が眼鏡かけてていかにもガリ勉チックな描写だった気が。

 冷静に考えると、アレっていわゆる「普通の人」の誤解や曲解・妬みや嫉みがいっぱい詰まっていたんじゃないですかね。まあ、それを誰も指摘したりしない、「一億総凡人」で良しとされていた時代なのかもしれませんが。

 つまんねえことに気付いちゃったなぁ。いや、考えすぎないようにしよう。
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恥ずかしい、ということ。
 いかんな、と思っとります。ここんところ。

 「恥ずかしい」、と感じることが、減ってきているような気がするのです。

 私のリアルを知る多くの方は、「またまたご冗談を」「えっ?!恥ずかしいと思う心が、てりぃさんにもあったんですかっ?!アレで?!」みたいな、あまりの有り難さに涙が止まらない反応を返して下さること間違いなしなのですが、いやいや皆の衆。そりゃああなた、私という人間を見誤っているんでございますよ。

 実のところ、私はそれなりに恥ずかしがり屋さんです。自分で「屋さん」とか言うヤツのどこが恥ずかしがりなんだ、と仰る方もおられましょうが、私と同タイプとは言えないものの、あの竹中直人さんが重度の恥ずかしがり、ということをご存知の方なら、そういうこともあるのだろう、と多少は思っていただけるのではないでしょうか。実際、照れ隠しに似た何かが、一層、アレなあれこれに拍車をかけている、ということもあったりするのです。あっ、その顔は信じてないな?
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タダほど怖いものはなく、安いものは安いなりに。
 どんな業種にも通じることだろうけど、私はずっとITがらみの担当でやってきているので話しやすいから、その辺の話を中心に。

 ソフトウェア関連の仕事というのは、価格は「有って無いようなもの」とよく言われます。それは、「目に見えて触れるようなゲンブツのものづくり」とは異なり、素材の原価も無く、人件費の総和で費用が決まる性質があるからなのでしょう。確かに、もう随分と昔に開発が終わってしまったようなソフトウェアの話をするならその通りで、開発に費やした人件費等の費用は既に回収が終わってたりしますし、それを依然として発売当初の価格で売ろうとする姿勢が垣間見えると「おいおい冗談だろ?」と言いたくもなるわけですが…。

 これが、引き続きサポートが続いており、継続的なバージョンアップや機能強化が図られ続けているソフトウェアになると、全然話が変わります。こちらは、日々のサポートのために間違いなくコストがかけられており、質の高いサービスとして提供を続けるために一定の費用が発生しているからです。価格が有って無いようなもの?おいおい、冗談だろ?とまあ、言い放つ向きが180度変わるわけですね。適正な価格というものは、あるはずなのです。(無論、それがわかりやすいかわかりにくいかは別な話ですが)

 こういう、表立って見えにくい(というか、そもそもそういう考え方で見ようとしていないから見えるはずもない)コストに裏打ちされている商品・サービスの価格って、頭っから否定してくる人、多いですよね。極端だとタダにしろとか普通に言う人いますし。多少マシな人でも、保守の契約結んでいるんだから何でも言うこと聞け、みたいなのとか。いやいやいや、それは違うでしょ。契約の内容に書かれていることをきっちりやってもらう代わりに正当な対価を支払う、それが契約でしょ。はぁ?契約の中身なんて適当で、やるべきことなんてそもそも決めていない?ふざけんな、あんたらもあんたらだがそれで契約している業者も業者だなおい!
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声の届かぬ遠くへ、何故あなたは
 あの頃の物理的な距離の隔たりが、堪え難いほどに狂おしく切なく感じられたのは、私自身の若さと、まだ未熟だった恋心に由来するものだったのでしょうか。

 その後、私もそれなりに歳を重ね、少なくとも対外的には「初老」でも通るくらいの安定を手に入れました。今や、多少の物理的な距離では動じなくなったのだろうと、自分では思っているのです。しかし、それでもなお、堪え難いほどに狂おしく切なく感じられるような人との隔たりが、私の心を苛む時というのがあります。それが、「もう、この人には、私の声も、他の親しい友人の声も、全く届かなくなってしまったのだろうなぁ」と感じた時です。

 人の心は、時には強く在れることもありますが、総じて皆、弱いものです。何かにすがりたくなる時、甘えたくなる時。そりゃあ誰だってありますよ。私だって、この「初老」で通る今さえも、何者かにすがりたい、甘えたい気持ちになることはしばしばあります。そんな時に、頼れる人や甘えさせてくれる人が側にいるだけで、どれほど大きな助けになるか。

 そんな時に、すがってはいけない、甘えてはいけない、底なしの穴のような存在というものも世の中にはあるわけで。ちょっとした何かのずれや、やむを得ない経緯(いきさつ)などから、そのような陥穽に嵌ってしまう人は、少なくありません。心を閉ざし、外界との関係性を断ち切って、文字通り「籠ってしまう人」。ほんの少し前までは、そうではなかったはずなのに。こうなってしまう前に何もしてあげられなかった自分も悔しいですが、それ以上に、これからはもう一切何もしてあげられないであろう自分の「今」というものが、私の心に癒えぬ傷を刻み続けます。

 生きていく以上、何某かの「別れ」というものは付き物です。やむを得ない「別れ」の悲しみは、避けようもありません。しかし、生きながらにして「別れ」ることは、格別に悲しい。すぐそこにいるのに、まるで異なる世界を生きているかのように、全くの没交渉にならざるを得ないなんて…。人の選択はそれぞれ尊重されるべきもの。ですが、やはり私はこう言いたい。「そんな悲しい選択をする人が、少しでも減りますように」と。

 願わくば、見せかけの仕掛けではない人と人との輪が、或いは和が、一人でも多くの人を救えるような、そんな世界に近づきますように。
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